「単項式の乗除」が鬼門

中2生の個人差を毎年興味深く見ている。
個人差というのは「数学が苦手な生徒ほど途中式を省略したがる」「先に進む生徒ほど<型>に従って途中式を書いている」というパターン通りになっているということである。

その結果が最も分かり易く出てくるのが、中2の「単項式の乗除」であろう。

この単元に関しては、まず分母と分子をはっきりと区別する<型>を繰り返し練習してから演習問題に移る。この「分母と分子を区別する」ことが重要で、先のPDFの2ページ目がそれにあたる。

この型を繰り返し練習しても、演習問題の段階で<型>をすっ飛ばして暗算で処理しようとして結果不正解になる生徒が毎年必ずいる(分母と分子の区別が混沌としているため「x/x = xの2乗」のような処理から抜けられない)。一方で、<型>の通りに演習問題でも分母と分子を区別して丁寧に約分していく生徒は進みも速く、さっさとこの単元をクリアして「文字式の利用(証明問題)」に入ることが出来、速い生徒は「連立方程式」にも手が届く。

この前者と後者の違いが毎年必ず発生するのが大変興味深い。

「学ぶ」の語源は「真似ぶ」だと言われるが、前者の場合は、この「真似ぶ」力が弱い。よく言えば「マイペース」だが、悪く言えば「我が強い」となり、我が強い人は自分中心になりがちなので外との衝突も多く頭打ちになりやすい。学校で勉強することの意義とはこういうことでもあって、自分を適度に抑えて謙虚になるという効果が勉強にはあることがここでよくわかる。

よく企業で「即戦力になる中途採用」をするか「一から教育していく新卒採用」をするか、の判断が分かれることがあるが、中途採用はうまくいけばよいが、中途半端に変な我流の癖がついていると新しい就職先の体質ややり方に馴染めず苦労することが多い。企業側も「それなら新卒を手間暇かけて教育した方がよかった」となる。

先程の前者と後者の違いに戻ると、
後者は「素直が一等」を具現化したようなもので、素直な人はやはり可愛がられ、いざという時に重宝される。それは本人が<型>を守るべき段階は<型>を守るという基本的な人生のセオリーを理解しているからで、こういうタイプの方が人生での苦労も少ないだろう。

このように個人差というものは、先天的に仕方のない個人差もあるが、本人の知らず知らずのうちの心掛けで大きく開いていくように思う。

【過去記事】数学が苦手な生徒ほど、途中式を省略したがる。

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