3つの原風景と原体験

私が子供の頃に通っていた学習塾を数えてみたら、今思い出せるだけで5軒出てきた。そこに家庭教師、高校のときの予備校、他の習い事も加えると、両手で指折れるくらいの数になる。恐らく、自分が通う側としてさまざまな学習塾や習い事を経験したから、「くもん」はどうだ、「大手の個別指導」はどうだ、と勘所をつかんで、今自分が学習塾を営む立場に立てているのだと思う。

先日の「内職」の話も、やはり同じで

東京の築地という場所にキリスト教の病院があるのだが、自分が生まれた場所でもあり、祖母がリウマチで入院したとか、子供の頃から足を運ぶことが多かった。戦前の建物だったので、中は薄暗く、その暗い廊下にボワッと「1」「2」「3」と真っ赤な電飾でくり抜かれた検査室の表示が何とも気味悪く、またエレベーターも昔の仕様で当時はまだカゴの鎖がジャラジャラと聴こえてくるような、そうそう、こんな感じだ。
https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00642/

7階だったか、最上階に「食堂」があって、小学生の自分が「ソーダ水」を飲んでいると食堂の中央に立入禁止のらせん階段が見え、どうやら建物てっぺんの十字架と繋がっているらしい。そんな怖くてミステリアス過ぎる病院の2階には巨大な礼拝堂(チャペル)があって、付近は手術の待合室にもなっている。用もなく礼拝堂の椅子に座ってステンドグラスを眺めていると、上階からパイプオルガンを練習する音が聞こえてくる。
http://www.nskk.org/tokyo/church/luke/facilities/index.php

中学生になると旧病院の隣地に新病院を建設することになり、市松模様やキリスト教にちなんだ意匠を随所に引き継ぎながら、最新鋭の病院に生まれ変わるという、このダイナミックな変貌が恐らく当時の自分にとって大きな衝撃であったに違いない。私の「内職」が本格化していったのはその頃で、建築学科に進むための「原風景」であり「原体験」であったことは間違いないだろう。今でも国指定の名勝庭園や武家屋敷を訪れるのが私の楽しみの一つだが、別業務でデザインに関する仕事を続けていたりするのも、この病院はその原点ということでもある。

もう一つ、私は祖父母と同居していた期間が長かったが、祖父は徳島出身、祖母は福井出身で家の中に何かと仏壇や観音様を安置していた。毎朝、その祖母が般若心経とか観音経を唱えてお参りするので、私も一緒になって般若心経を唱えていた結果、小学4年の時に般若心経を暗唱してしまった。祖父母はその後それぞれ認知症になってしまって、色々困難もあったけれども、今思い出すのは元気だった祖母と一緒に並んで般若心経をあげている姿で、今の私が神社で祝詞をあげているというのも、やはりその「原風景」であり「原体験」なのである。

この話、何が言いたいのかというと、
小学生・中学生の時に紡いだ記憶は、その後しばらく思い出すか思い出さないか、活用されるか活用されないかに関わらず、必ず「原風景」「原体験」として蓄積されるということだ。高校生は最早その時期は過ぎているかもしれない。

自分にとっての「原風景」「原体験」はその後何かしらの形で必ずどこかに繋がる。仕事の種類や職場かもしれない。何か指針を失ったときの微かな道しるべになるのかもしれない。12月頃に感染症の第二波が来たら、また行動を制限せざるを得ない時期もやってくるだろうが、近畿地方は関東に比べたら遥かに豊富な歴史的・文化的遺産が随所に存在している。塾生には今しかできない「原風景」「原体験」を紡いで欲しいと思う。中途半端な勉強をするよりも、その方が遥かに大切なことかもしれない。