計算が苦手な生徒の法則

計算が苦手な生徒には、「途中式を省略したがる」「暗算をしたがる」「習った方法ではなく、自己流で解きたがる」という3つの「たがる」症候群が見られる。

計算というものは非常に地道な情報処理の仕事である。過程を踏んで、1番目をクリアしてから2番目、3番目と、順を追って作業を進めていくべきものだが、「途中式を省略したがる」生徒はこの点を理解しておらず、何か魔法のはしごが存在しているかのように、突然富士山の頂上に登ってしまうことが出来るものだと、大きな勘違いを漠然と頭の中に思い浮かべている。霊能者のようにいきなり答えがポンと空から下りてくる、そのように答えを出すものだと、漠然と信じ込んでいるのだ。

計算が出来る生徒はこの真逆で、階段を1段目、2段目・・・と踏みしめながら、今自分がどこを歩いているのかを認識しながら、地道な歩みの先に正答が導けるということを、その子自身の哲学として知っている。

次に、暗算をしたがる生徒。これもタチが悪い。
暗算をするから計算ミスをする、ということと、計算ミスをする生徒は暗算をしたがる。どちらも同時に言える。仮に公文式のような所で基礎的な計算トレーニングをしっかりと積んできた生徒ならば暗算をしても良いのだ。むしろ、そういう生徒が250×400のような計算を筆算していたら、「おい、そんなことを筆算するな」という話になる。

そうではなく、基礎的な計算トレーニングを積んでいない生徒が、先ほどの霊能者のように頭の中に数字をパラパラと投げ入れて、ポン!と出てきた暗算結果が正しいかといったら、まず間違えていることが多い。43-12=21になってしまうような、どうしようもないミスを連発するので、とにかく「いちいち筆算しなさい」と口酸っぱく指導することになる。

3点目。自己流で解きたがる生徒。これは人数としては、相当多いだろう。
学校であろうが塾であろうが、先生が生徒の前で示す解法というのは、その先生にとって「あなたはこの手順を守って、この問題を解けるようになってほしい」と願いながら伝えようとするものである。この板書と同じようなことがノートでの練習や試験の答案用紙に再現出来れば、「もうあなたはこの問題が解けるのよ」と、最短距離を示してくれているのだ。

素直な生徒、知恵のある生徒は、このように教えられたことを忠実に守り、解答のスキルが順調に上達していく。武道の世界でいうところの「守(しゅ)・破(は)・離(り)」の「守」の部分で、きちんとツボを押さえているということになる。そうでない生徒というのは、指導者から示された解法は「それはそれ」として別に置いておき、その上で自己流で解けると信じているのである。「学ぶ=まなぶ」は「まねぶ=真似ぶ=真似る」という語源から来ていると言われるが、この「真似る」ことが出来ない。

ポワ~ンと、魔法のはしごが自分を遠い目的地に連れて行ってくれるような錯覚を持った、または問題を解くということは霊能者がポンと答えを出すことと同じだ、と漠然と無意識に頭の中が泳いでいる生徒に、この地道な過程を「真似る」させることに、まず一苦労二苦労を要する。

結局のところ、「途中式を書く」ということは物事の筋道をはっきりさせるということであり、「筆算を書く」ということはより正確な、精度の高い情報処理(仕事)をするということであり、「習った方法に忠実に従う」ということは、自分が素直な人間になるということ、他者から学ぶことの出来る寛容な精神を養うということである。

計算力が身につき、学力が上がる、というのはその副産物でしかない。計算の指導だけでも、その生徒がこれまで培ってきてしまったユルユルの人生観をボルトできつく締め直すことに繋がるし、物事には手順がある、道理がある、ということを学べるまたとない機会となるのだ。