過去記事から抜粋してみよう。
道にかなった人には味方が多い。極端な場合には、天下の人民がみな味方となる。道にはずれた人には味方が少ない。極端な場合には、親戚までがそっぽを向く。天下を味方につけた者が、親戚にまでそっぽをむかれた者を攻めるなら、勝敗はおのずから明らかだ。従って君子は戦わずして勝つものだが、戦った時は必ず勝つ。
この「戦わずして勝つ」という言葉。
もう少し詳しく見てみよう。
「相手をよく知る」は、「戦わずして勝つ(戦ってから勝つのではなく、戦えば勝つことが予見できるくらいに周到に準備を重ね、いざ戦えば確実に勝つ、という意味)」という孫子の兵法にも通じる。敵を知れ、入試ならば受験する高校、入試問題を自分でよく分析・解釈し、どうすれば突破できるかと戦略を自分なりに考え、その高校に対する自分の受験の構えを確実に固めていくということだろう。
少しずつ「戦わずして勝つ」の意味がわかってきた。更に、
『孫子』軍形篇に、勝利の戦というものは、戦う前に勝利の道を得てそれから戦うものであるが、敗北の戦というものは、まず戦いを始めてそれから勝利の道を見出そうとするものである、とある。兵術の問題も学問の問題も、異なるところはないものである。
~孫子の兵法「戦わずして勝つ」の話。「戦わない」のではなく、「戦ったら必ず勝つ」という意味だ。徹底的に事前の準備を重ねて、その段階で既に勝たない訳がないという状態まで完成度を高める。だから、いざ戦ったら必ず勝つ。これが「戦わずして勝つ」。中間・期末テストも受験も同じことで、生徒の事前の取り組みを見ていれば、もうその時点で結果は予測でき、テストを受けなくても決着がついてしまっている、と言えるのだ。
という風に、今現在の生徒の取り組みを見ていれば、今度の受験の勝敗もすでに決まっていると言える。
インタビューで柔道男子・日本代表の井上康生監督がサラッと言った。
【一流と二流の差は準備力にあるので・・・】
至言ではないか。孫子の「戦わずして勝つ」という言葉を、この「準備力」という観点で読み解けば、戦ってから勝敗が決まるのではなく、戦う前に必ず勝つように周到に準備を重ねて、いざ戦った時には必ず勝つ、ということになる。「戦わずして勝つ」を実践できているのが一流で、準備をおろそかにして勝敗の行方が戦うまで読みとれない者が二流。どの世界でも同じだ。「戦わずして勝つ」を目指して準備を重ね、一流を目指そう。