孟子

孟子(もうし)は紀元前372~紀元前289年、つまり今から2300年前、日本でいう弥生時代。中国戦国時代の儒学者。儒教では孔子に亜(つ)いで重要な人物で亜聖(あせい)と称される。年代としては孔子のひ孫あたりと言える。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。孝(こう:親によく従う)、悌(てい:年長者や目上の者に素直に仕える)を土台としている点は孔子流だが、戦乱の世にあって徳というもの、政治の根本を君主たちにひたすら情熱的に説いていく姿が印象的だ。
以下、徳間書店「中国の思想」シリーズから抜粋してみる。

【1】人間は自然の脅威におののき、人間の力ではどうにも出来ぬと考えた、ある支配力に名づけたのが「天命」の始まりである。天命はそれ自体で存在するものではなく人間の行為によってはじめて存在化するものである。天命は宿命ではない。天命を天命たらしめるのは人間の努力なのだ。無秩序な社会を作るのも人間なら、理想の世を作るのもまた人間である

…この部分。天命とは自動的に受け身の形で天から与えられるものではなくて、自分の努力次第だという点。人生は自分の努力次第でどうにでもなると言っているのだ。

【2】人間の本性が善である、という命題は決して現実の人間が善であることを意味しない。個人にそなわる天命を全面的に開花させるためには人格完成のための努力が必要である

…性善説。「人格完成のための努力」がなければ天命は日の目を見ないと言っている。この点重要なので、もう少し詳しく見てみよう。

【3】かわいそうだと思う心(仁)、悪を恥じ憎む心(義)、譲りあいの心(礼)、善悪を判断する心(智)、人間は生まれながらこの4つの芽生えを備えている。自分に備わっているこの4つの芽生えを、育てようと思えば火が燃え出し、泉が湧き出るように限りなく大きくなっていく。これを育ててゆけば、天下を安定することができる。しかし育てなければ、父母を養うことすらできない

…ここだ。孟子の思想の根幹であり、性善説の根拠をなす「四端説」という。

【4】仁の心がなく、智に欠け、礼を忘れ、義を知らぬ人は、奴隷でしかない

…これは強烈な指摘。

【5】心せよ、心せよ、なんじの行いは、なんじにかえる

…戦で武将が33人も戦死をしたのに、人民は誰一人として武将のために命を投げ出さなかったと君主が嘆く。孟子は君主に忠告した。「飢饉(ききん)で人民が飢えている時にあなたは食糧を開放せず多くの年寄りや子供を野垂れ死にさせた。人民を見殺しにした報いが還ってきただけですよ」と。

【6】禍(わざわい)にせよ、福にせよ、すべて自ら招くものだ。天が降した災難は逃れることも出来るが、自ら招いた災難は決して逃れられない

…世の中に自業自得でないものは何一つないと言えそうだ。

【7】他人から善を学びとっては実行にうつす。君子にとって、これほど有意義なことはない

…孔子の弟子の子路(しろ)は、自らの過失を指摘されると「喜んだ」という。

【8】道にかなった人には味方が多い。極端な場合には、天下の人民がみな味方となる。道にはずれた人には味方が少ない。極端な場合には、親戚までがそっぽを向く。天下を味方につけた者が、親戚にまでそっぽをむかれた者を攻めるなら、勝敗はおのずから明らかだ。従って君子は戦わずして勝つものだが、戦った時は必ず勝つ

…君子は戦わずして勝つ。ここだ。

以上、「梁恵王(りょうけいおう)」「公孫丑(こうそんちゅう)」2章より。公孫丑は孟子の弟子のこと。
ちなみに、兵が50歩逃げても100歩逃げても、本質的には逃げたことに変わりが無いだろう、という「五十歩百歩」という故事成語の出典もここにある。