鹿屋から垂水を抜け、桜島に入る。桜島は現在も噴火が続いており、国道224号線を走るだけで車がうっすら白くなる。島内ではあちらこちらで溶岩が露出しており、活火山の生々しさを知ることができる。理科が覚えるばかりでつまらないと思っている者こそ、こういった景観を実体験すべきだ。
いつでも避難対応できるように24時間運航している桜島フェリーに乗ること15分、鹿児島港に到着。10分近く走って、上竜尾町の急坂をのぼる。
西郷南洲顕彰館。西郷南洲とは西郷隆盛のことである。
その出生の地であり終焉の地でもある鹿児島。顕彰館を訪れるのは私自身、3回目となった。
西郷南洲は写真を撮られることを嫌ったため、他の明治維新の志士たちと異なり、実際の顔が記録されていない。よく世間に出回っている西郷の顔はあくまで肖像画(イメージ)でしかない。
顕彰館ではさまざまな肖像画が並べられ、どれが本物の西郷に近いのか?見学者自身で推理できる。売店では、インターネットや一般書店では流通していない地元の有志が書き起こした本も販売されており、まさに現地に足を運ばねば得られない。今回は西郷南洲が書いた「漢詩集」を購入。もちろんISBNは振られていない。
建物の周辺一帯は「南洲墓地」といって、西郷を中心に西南戦争で亡くなった若き戦没者の墓が桜島を向いて無数に並ぶ。
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西郷南洲は「情」の人である。
安政の大獄で身を追われた月照というお坊さんと共に錦江湾に飛び込んで入水自殺を図ったのも西郷の「情」。征韓論に敗れ、東京から鹿児島に戻って西南戦争の中心に担ぎ上げられることを「よし」としたのも、本来江戸幕府が続いていたならば武士として身を保てたであろう若者たちの「せつなさ」を一手に背負って天に昇華させたのも、それこそ西郷の「情」である。
「人を相手にせず 天を相手にせよ 天を相手にして己を尽くし 人をとがめず わが誠の足らざるを 尋ぬべし」
これは西郷南洲翁遺訓の一節で、私自身にとっても大きな道しるべとなっている。
【写真】南洲墓地、そして城山から見た桜島
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