鹿屋航空基地史料館

鹿児島県には2つの半島がある。
西側が薩摩半島で、東側を大隅(おおすみ)半島と呼ぶ。

その大隅半島の中央に位置するのが鹿屋(かのや)市。鹿屋と聞いただけで「特攻隊」を思い浮かべる人は多いだろう。

大阪からは商船三井のフェリー「さんふらわあ」に乗って志布志(しぶし)に出るのが便利である。夕方に南港のATCを出ると、翌朝には志布志港に着く。そこから鹿屋市街までは車で1時間ほど。

10月某日。
海上自衛隊の鹿屋航空基地。基地のゲート手前が史料館エリアになっており、周囲には海上自衛隊で活躍した航空機が数多く展示されている。

現在、入館は時間指定の予約が必須となっており、この日は午前11時から12時半の回を申し込んでおいた。

建物に入ると、日露戦争など旧日本海軍の草創期から第二次世界大戦までの資料が並び、特攻機として使用された「零戦(ゼロ戦=零式艦上戦闘機)」の実機(平成4年に錦江湾から引き揚げ)も設置。

太平洋戦争では鹿屋から1200名の特攻隊員が零戦に乗って南洋に飛び立った。2階の展示室では、その特攻隊員の方々の顔写真が印刷された金属プレートが壁一面に掲げられ、氏名・出撃日・戦死日が添えられている。

どこを見ても出撃日と戦死日が同じなのだ。つまり、彼らは出撃したその数時間後に死亡している。二十歳そこそこの、これから本当の人生が始まると言ってもよい年齢に「お国のため」と純な心情を抱えたまま犬死させた戦争の罪は深すぎる。

特攻隊員の遺書、遺品、家族に宛てた手紙など、プライバシーに関わる内容は撮影禁止のため、この場でしか見ることが出来ない。

規定の1時間半はあっという間に過ぎた。今はインターネットで何でも情報が手に入る時代になったと「錯覚」しがちだが、実際には現地に足を運ばねば分からないこと、見えないことばかりである。

「人は死して死なず」というが、特攻隊員の方々の写真パネルに囲まれた瞬間、この人たちの魂は現在も生きている!!と確信してしまった。彼らの魂はまさに今、私たちの在り方、この国の行く末を凝視しているのだ。

【写真】史料館の外観と零式艦上戦闘機

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