大人の修学旅行~広島編

12月某日。

[07:26 新鎌ヶ谷駅]
成田スカイアクセス線のアクセス特急に乗車。

[08:00 空港第2ビル駅]
成田湯川駅を過ぎると線路は単線になり、土屋地区で同じく単線のJR成田線と併走する。やがて成田空港第2ターミナルに到着。急いで中国資本のLCCである春秋航空日本(Spring Japan)のチェックイン。何しろ搭乗時刻の35分前がチェックイン締め切りなのだ。尚、今回もキャンペーン価格を利用して、成田~広島間でなんと片道1,400円(座席指定料金・決済手数料全て込み)。

Spring Japanは初期のスカイマークのようにシステムの機械化が最小限に留められており、空港内を職員が動き回ってマンパワーで処理していることが多い。

[08:45 成田空港発]
かつてのエアアジアの屋外待合スペースに仮設のターミナルが造られて、そこがバス待合室になっていた。ベンチに座る余裕もなく、8時10分に連絡バス乗車。飛行機は定刻の8時45分に動き出した。尚、Spring Japanは客室乗務員も全員日本人で、中国っ気を全く感じさせなかった。

[10:20 広島空港着]
JAL/ANAが独占していた空港によくぞLCCが切り込んでいったものだ。空港内をくまなく散策する。

[11:05 広島空港バス1番乗り場]
リムジンバスで広島中心部まで西に向かって50分。広島市は太田川とその支流からなる三角州の上に位置しているが、それだけでなく周囲を見渡すと、西・北・東の山の斜面にベッタリと張り付くように住宅地が密集しているのが目に入る。高度経済成長期に広島市が発展するにあたって、平地だけでは土地が足らず、山の中腹まで宅地開発されるようになった。波が傾斜の急な浜に押し寄せるがごとくである。その現場、安佐北区・安佐南区では今夏、土砂災害が発生して74名が亡くなった。

[11:56 広島バスセンター]
そごう広島店の3階に位置するバスセンターに到着。

[12:05 原爆ドーム]
広島バスセンターから5分も歩かないうちに平和記念公園へ足を踏み入れ、真っ先に原爆ドームが目の前に現れる。建物は補強工事を施されているが、それでも柱が天井から釣り下がったままであったり、崩れたがれきがそのまま転がっていたり、原状が維持されている。

[12:10 原爆死没者慰霊碑]
西日本の各地から小・中学生が修学旅行で訪れている。

[12:15 平和記念資料館]
1945年8月6日、世界で初めて原子爆弾が広島市に投下された(8月9日には長崎市にも投下されている)。当時の惨禍を伝えるべく、本館は1955年に丹下健三の設計により建設された。現在は重要文化財に指定されている。

館内は修学旅行生でごった返しているが、展示品・遺品の数々に見入ってしまう。被爆した方々の皮膚が焼けただれた姿や、爆撃の10年後に白血病を発症して亡くなった女の子の棺の写真、焼け焦げた衣服、ガラスの破片が刺さったタンス、溶けて変形した屋根瓦など、あまりの生々しさに息をのむ。

放射線の影響で髪の毛が全部抜けてしまった18歳の女の子の頭髪の実物や、背中がケロイド状態になった20歳の女性の写真、また、爪が変形して黒い爪が手のひらと垂直方向に伸びてしまった人の指、黒い腫瘍が点在している舌など、何事もなく生きていれば若さを謳歌(おうか)していたであろう人々の喜びや自由が、爆撃とともに一瞬にして吹き飛ばされてしまったことの現実が、70年の時をこえて実感として自分のなかに突き刺さってくる。

全身にやけどを負った男性が、「喉が渇いた、水が飲みたい…」と自分の割れた爪の先から出てくる膿みを吸いながら亡くなっていった、という話も脳裏に刻み込まれる。先ほど何とは無しにただ通り過ぎてしまった慰霊碑へ、再び向かうことにする。

[12:45 原爆死没者慰霊碑]
慰霊碑に刻まれた、『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』。本当に、この言葉に尽きる。

私が生まれ育った東京江東区の深川は、1945年3月10日の東京大空襲で一面焼け野原になった。その土地の小・中学校に通っていた私でさえ、戦争体験について学校で詳しく触れたことはあまり無かった気がする。むしろ江東区は1949年のキティ台風のような水害について学習した方が多い記憶がある。両国の東京都慰霊堂に足を運んだのも、大人になってからだ。

日本人として、生の記憶を留めている広島を訪れ、原爆の惨禍を知ることは非常に大切なことだと思った。思い切って広島に来てよかった、と痛感。

(実はこの日、天皇皇后両陛下が18年ぶりに広島を訪問され、翌日には本慰霊碑にて献花されたことをニュースで知った。現地では警備など、そういう雰囲気は一切感じられなかったが…)

[12:55 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館]
地階に円形の追悼空間を用意。ロビーには亡くなった方々の写真を展示、1階の資料室では体験記が閲覧できる。ふと、護国神社に行くべきだという想いにかられる。

[13:15 広島護国神社]
平和公園から約2km、徒歩20分。広島城の掘割の中に護国神社はある。ここには原爆投下により亡くなった勤労奉仕中の動員学徒や女子挺身隊が祀られている。神社の核は、御霊が寄る「寄り代(よりしろ)」にあるが、この寄り代に御霊に立ち寄っていただき、心をこめて祭祀をすることが後世に生きている私たちの大切な務めだと思った。

広島城の敷地には、原爆投下をこえて生き続けている樹木もある。それぞれに説明のプレートが掲げられている。

[13:25 RCC中国放送前]
広島城の東側、裏御門跡を抜けると、RCCという看板が見えてきた。ルーツは「Radio Chugoku」かな、と推測していたら、その通りだった。今はTBS系列のラ・テ兼営局。

[13:40 縮景園]
さらに歩く。広島城から1km、県立美術館の角を曲がると国の名勝に指定されている庭園「縮景園」が見えてくる。ここは1620年に広島藩主により造成された。当然ながら原爆による壊滅的な被害を受けている。当時、爆撃を受けた近隣の人々がこの庭園に逃げ込んだが、医療の処置が届かずにそのまま亡くなり、多数が園内で葬られたというエピソードも残っている。広島市を旅することは、原爆の爪あとを確かめる旅でもあることが分かった。

さて、園内は中央の池を築山で囲み、標高のアップダウンを繰り返しながら樹木や石、水の流れを楽しむようになっている。庭園というのは江戸以前の支配階級にとっての大きなエンタテイメントだったのだろう。

[14:20 広島駅ビル・アッセ]
冷たい風の中、広島駅に近づくとビル型の予備校・学習塾が数多く目に入る。それらを横目に駅ビル・アッセへ。2階の尾道ラーメン三公で食事。尾道ラーメンは、魚介系のダシに醤油ベースのスープ。そこに豚の背脂5mm四方の固まりを浮かべる。まろやかな味わいではなく、醤油がストレートにこちらに向かってくる。

[14:44 広島駅]
JR山陽本線に乗車。

[15:10 宮島口]
駅から地下道を直進するとJRのフェリー乗り場、向かって左側に広島電鉄が運営する宮島松大汽船の乗り場がある。よく分からないままに広電の方で乗船券を購入。片道180円。

[15:30 宮島口フェリーターミナル]
乗船時間は10分だが、カーフェリーになっている。船尾には筆文字による「歓迎」の旗が風に舞っており、ローカルな旅愁を誘う。

[15:40 宮島桟橋]
桟橋を出ると、いきなり鹿が現れる。鹿が放されているのは奈良だけではなかった。ここから10分弱、鹿と共に土産物屋街を歩く。

[15:50 厳島神社]
世界文化遺産であり、日本三景の一つ「安芸の宮島」。干潮の時間であったので、神社の周辺は潮が引き、磯のにおいが一帯に立ちこめていた。厳島神社は推古天皇元年の593年に創建、厳島の山そのものを御神体としている。平安末期には平清盛によって現在の規模に社殿が拡張され、その後も毛利元就、豊臣秀吉によって手が加えられている。

純粋な山岳信仰というよりも、潮の満ち引きによる景観のダイナミックな変化を楽しむという、中世の壮大なエンタテイメントである。一段格上の庭園といえよう。ここは当地に宿泊しながら朝な夕なに訪れた方が、その魅力を堪能できるだろう。満潮時、干潮時、それぞれの見せる顔を愉しみたい。

神社の隣の大願寺には弁財天が祀られている。何というか良い意味で寺の生々しさが立ち込めている。

厳島神社の背面を抜けて、宮島桟橋へ戻る。土産物屋では「牡蠣(かき)」「もみじ饅頭」だけでなく「熊野筆」も名産品として販売もされている。熊野といえば和歌山から三重にかけてを想像しがちだが、熊野筆は広島である。

[16:25 宮島桟橋]
往復切符を購入していたので宮島松大汽船に乗るはずだったが、修学旅行生による大行列が出来ていたため、急遽切符を買い直してJRの宮島連絡船に乗る。2階の客室が満席だったため、寒風の吹きすさぶ3階のデッキへ上がってジッと我慢。

[16:41 広電宮島口駅]
広島の路面電車といえば広電。広島市内各地に線路が張り巡らされており、路線系統は旅行客には分かりづらい。宮島口から西広島までは専用軌道を通るが、その先は路面電車となる。

[17:34 紙屋町西(かみやちょうにし)]
50分後、繁華街の紙屋町に戻ってきた。ここまで260円。広島バスセンターのある、そごう広島店で「賀茂鶴」という日本酒を購入。今年4月のオバマ大統領の来日で、安倍首相がオバマ大統領に「すきやばし次郎」で傾けたお酌の中身が、広島県の「賀茂鶴」である。

[18:35 広島バスセンター]
JR九州のハイウェイバス、広福(こうふく)ライナーに乗車。5名しか乗客がいないので、山陽自動車道から九州自動車道へ続く車中、「賀茂鶴」を開封。完全にオッサンである。

[22:50 博多バスターミナル]
JR博多駅に到着。博多口のイルミネーションが美しい。その後市営地下鉄で天神へ移動。中州の屋台を横目に、博多の夜風に吹かれる。