きのくに子どもの村学園

(抜粋ここから)
大阪市立大学ではこんなことがあった。ある年の入学試験の日の朝である。私は、正門で受験票をチェックする役目を与えられていた。開門と同時に受験生が入ってくる。どの受験生の表情もかたい。「みんな緊張しているな」と思って見ているうちに、ぞっとするような事実に気が付いた。

校門の前の道路は、近くの小学校の通学路になっている。受験生は、真っ直ぐに校門に向かってやってくる。そしてちょうど門の前で登校する小学生と交差する。ところが小学生に道をゆずる受験生はだれ一人いない。小学生の方が立ち止まって、受験生の列がとぎれるのを待ってやっているのだ。ほんとに不気味な、そして背筋の寒くなる光景であった。

過酷な受験戦争を勝ち抜くには、まわりの人へのこまやかな関心などは、むしろ障害になるのかもしれない。しかし子どもたちが、幼いときから入学試験の影に脅かされ、詰め込み教育に追われ、塾通いに明け暮れているうちに、こんな深刻な事態が生じているのだ。

以上を短くまとめていえば、不自由な子どもとは、内面に不安や自己憎悪を抱えた子ども、知識の量は多くても自分で考えられない子ども、そして大人から道徳を押し付けられ、思いやりや実際的な共に生きるための知恵の乏しい子どもである。
(抜粋ここまで)

・・・『自由学校の設計』堀真一郎・著(黎明書房)P.80-81より

これを読んで思い出すのは昨年秋の彼岸のこと。
例の祖父母が眠っている墓が早稲田の馬場下町という所にあって、早稲田駅のホームを歩いていたらホームの「中央」で早稲田中学校または高校の生徒がスマホを片手に集団でいくつも固まっていた。

通れない。

偏差値70を超える、頭脳の上では難関を勝ち抜けた「優秀生」扱いになるのだろうが、「ここに居たら通行の妨げになる」というアンテナが働いていない。彼らには年齢の問題ではない、何か根本的な「感性」が抜け落ちているような違和感を私はおぼえた。

これは同じことが谷町線でもあって、夕方になると夕陽ケ丘から近隣の私立生が乗り込んでくるのだが、大きなバッグを何人もがドア前の通路中央にドサッと置いて会話を始める。谷町四丁目に着いた。

やはり通れない。

どこの学校かしら、と思ってバッグを見ると大阪星光の生徒だった。

まあ、たまたま難関校だから目についただけかもしれない。当然、田舎に行けば、ヤンキー崩れの高校生が電車の入口に座り込んでいるのを目撃するし、たまたま居合わせた生徒たちがそういう資質だっただけかもしれない。

しかし、その彼らがいわゆる支配層として国や企業の上位にのぼり詰めていく、その積み重ねが現代社会なのである。

さて、先の著者は大阪市立大学の教授を経て「学校法人きのくに子どもの村学園」という正式な私立学校の創立者であり、現学園長である。

以下、経緯を書くが
私自身、学校の情報は直接訪問して足で稼ぐべきという考えから、その記録を塾通信に書き残している。

これらは関東の学校だが

関西でこういう人間臭さがプンプンとにじみ出てくるような学校に出会いたい、と調べ着いたのが
この「きのくに子どもの村学園」であった。

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