陰山英男先生のツイート

陰山英男先生(@Kageyama_hideo)のツイートより。

<引用ここから>
日本の教育課程は、本来基礎基本が厳選され、国も貧しかったから教材も少なかった。だからもともと追い越し学習はしやすくできてる。それで理系のノーベル賞もたくさん取れてるしね。それをへんに削ったり水増ししたりして自分の首を絞めてる。シンプルにやるといいんだよね。


<引用ここまで>

→情報化の時代だからと言って、教材に「あれも」「これも」と膨大に内容を詰め込んで、「自分で必要な情報を取捨選択できる力を身につけなさい」というのは横暴だと私は思う。うまく情報の津波を制御できるのは上位3分の1。その他3分の2は情報の海に溺れる。基礎基本もロクに身につかないまま、気づいたら18歳になって社会に放り出されていた、というのが今の日本。「てにをは」の助詞もマトモに使えない大人は意外と多い。

<引用ここから>
子どもを伸ばすのはいい説明をすることでない。できる限り説明を減らし、子どもの活動を増やすことだ。いい授業の呪縛はやたら教師の活動を増やす方に導く。しかし増やすべきは子どもの活動なのだ。


<引用ここまで>

→大人が手を掛ければ掛けるほど、子どもは受け身になって生命力を失う。与えれば与えるほど子ども自身の「気づき」を削いでしまう。時には子ども自身が壁にぶち当たるのを静観することが正しい時もある。「まず、やってみい」「それから考えてみい」「それから調べてみい」「それから質問してみい」と、一見無茶ぶりなくらいの方が、生徒の当事者性が生きてくる。

<引用ここから>
授業中は説明を減らし、子どもの作業を増やす。すると個別指導できる。


<引用ここまで>

→集団授業で先生がダラダラと講義するのではなく、演習時間を多く確保すると先生が机間巡視しやすくなる。その際に「吹きこぼれ」と「落ちこぼれ」にこまめにピンポイントの指示を入れることで彼らを救済できるのだ。教育者の職人技である。

<引用ここから>
これかなりの破壊力です。これまで英語を嫌いにならないようにと準備してきて、本番はこれってどう?びっくりです。いずれその問題は、文部科学省に跳ね返るのに。子どもからすると、これが最大の悩みの種になりそう。


<引用ここまで>

→2021年度からの中学校英語の教科書改訂について。

上の記事に登場する上野先生は「教科書がそうなっちゃったから(それが正しいかどうかではなく、塾用教材も仕様を)合わせるしかないんですよ」というニュアンスの話をポロッと吐露されていた。

日本人は同調圧力に弱い民族だと言われるが、「緊急事態宣言が出ちゃったから、従うしかないんですよ」的な、上が決めたことに盲従するだけの無批判・無思考なマインドを持ちやすい。「さて、それってどうなのか?」という気づきをくれる陰山先生のツイートである。