『荘子、見畜類所行走逃語』の作文

この話は私自身とても気に入っており、いきなり原文だけを生徒にぶつけてみたらどういう作文を返してくるだろうか、ということをF・R君の個別授業の時に実践してみた。
原文と現代語訳はこちら↓
http://kj-log.cocolog-nifty.com/kamiojuku/2015/01/post-450e.html

で、以上を踏まえての作文。


◎F・R(高3)
この物語を初めて読んだときは、意味がまったくわからなかったが、何回も読み返すことで、少しずつわかってきたことがある。まず始めの文では、荘子という人が沢の中にいる、一匹の鷺を狙っていて杖を持って近づいても鷺は逃げないのである。では、なぜ鷺は荘子が近づいても逃げないのか。その理由は次の文に「一の蝦を食らはむ」と書いてあり、意味は蝦を食べているためでよいのだろうか。これでいいのであればつまり、荘子が近づいても鷺が逃げないのは、蝦を食べていて荘子に気づいていないのである、ということになる。次に「人の打たむと知らざるなりを知りぬ」とある。これは、人に打たれることを知る由もないという意味であろう。その次には「鷺の食らはむとする蝦を見れば、逃げずしてあり」つまりは、鷺の食べている蝦を見れば、鷺はまだ逃げないのであろう。このような意味だと思う。この二つをあわせると鷺は、人に狙われていることも知らずに、蝦を食べることに集中して、逃げようともしない。このような文であっていると思う。「鷺、蝦、皆我を害せむとする事を知らずして」とある。これは、鷺も蝦も皆自分が、狙われていると知らずにいる、ということであろう。ここまでは、なんとなくだがわかるが、次が問題であり、意味がよくわからずにいる。

今回、今昔物語の荘子、見畜類所行走逃語を読んで自分が勉強不足だと痛感させられた。具体的に言うと、「走り去りぬ」という文があるが、走り去るのか走り去らないのかわからなかったりする。このようなことが何度もあった。

たったこれだけの文も理解できるだけの力がなければ、何時間もかけて読むことになる。逆に言えば理解できる力があれば、簡単に読むことができるのであろう。今回の文に対して勉強する必要があると思えた。

無茶ぶりといえば無茶ぶりである。しかし、分からないなりにF・R君は率直に書いたと思う。

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kamiojuku