中村哲医師について

中村哲医師のことは、正直言ってよく知らなかった。
開明高校で中村哲医師の講演があった、とかその程度だった。

私はこの番組で俄然関心をもった。

『中村哲の声がきこえる』

日本に生まれ育ち、日々に疲れて生きる目的を見失った若者たちが、きっかけを得てアフガニスタンの砂漠で井戸掘削や水路建設に従事するワーカーとして働くことになった。

カメラに映っていた20年前の彼ら、そして日本に戻ってそれぞれの道で働く現在の彼ら。在宅医療専門のドクター、絵本店を営む僧侶、農業雑誌の記者。彼らに通じることは「一隅を照らす」。光の当たらない人に光を注ぎ、一人ひとりの命と向き合うこと。

すべては中村哲医師との出会いから始まった。中村哲医師は当初パキスタン・アフガニスタンでの貧困層・難民への医療支援に従事していたが、なによりも衛生環境が整わないことには守れる命も守れない、救われる命も救われないと、自らショベルカーに乗り砂漠地帯に「水」をひく活動を始める。

井戸を掘り、用水路をひらく。地元福岡に戻っては日本の先人たちが築いた運河の構造をつぶさに観察する。

その結果の功績は下記サイトが分かりやすい。

(ページ中盤、2008-2014年のガンベリ砂漠の写真。砂漠が徐々に緑地化されていく)

ここまで来ると、もはや国づくりである。
日本に生まれ育っていると、川の流れ、田畑の緑が当たり前に存在しているように思えてくるが、実際は先祖の辛苦の結晶でしかない。私たちはその恩恵を受けて生きている自覚を持たなければならない。

しかし、これは医師の仕事だろうか。
医師は人の病気を診る。その病気の根源に衛生環境の不備があれば、その不備を正す。つまり、中村哲医師の足跡はまさに「医師」そのものだ。

「私の範囲はここまでなので」「管轄が違いますから」という言葉がいかに死に腐っているかということを教えられる、中村哲医師の行動力である。

最後に、2013年に出版された中村哲医師の著書より。

かつて知識や情報がこれほど楽に入手でき、これほど素早く移動できる時代はなかった。一昔前の時代を思うと隔世の感がある。だが、知識が増せば利口になるとは限らない。情報伝達や交通手段が発達すればするほど、どうでもよいことに振り回され、不自然な動きが増すように思われて仕方がない。(P.241)

今、周囲を見渡せば、手軽に不安を忘れさせる享楽の手段や、大小の「権威ある声」に事欠かない。私たちは過去、易々とその餌食になってきたのである。このことは洋の東西変わらない。一見勇ましい「戦争も辞さず」という論調や、国際社会の暴力化も、その一つである。経済的利権を求めて和を損ない、「非民主的で遅れた国家」や寸土の領有に目を吊り上げ、不況を回復すれば幸せが訪れると信ずるのは愚かである。人の幸せは別の次元にある。

人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。少なくとも私は「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という妄信から自由である。何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。(P.245)

『天、共に在り~アフガニスタン三十年の闘い』(中村哲・著、NHK出版)

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