知・情・意のバランス

「情」は大和言葉から学び、「知」は外来語から学ぶ。
今の教育は「知」に偏重して「情」が育ちにくいという先週の話。

「知性・感情・意志」のバランスのとれた状態。これが人間の目指すべき最終地点なのだろう。バランスのことを「中庸(ちゅうよう)」と呼ぶ。

◎偏差値は高いが、自己中心的で相手への思いやりに欠ける人(知性>感情) →高学歴者でサイコパス的な人
◎相手のことをよく考えすぎて、決断の踏ん切りがつかない人(感情>意志) →優柔不断で先に進めない人
◎やる気に満ちているが、実力が備わっていない人(意志>知性) →プライドは高いが仕事は空回りして劣等感につきまとわれている人

自分に不足している点を補うことに努めたいものだ。

さて、
大阪の私学は歴史のある学校が多く、キリスト教や仏教などの宗教を背景にした学校が多数を占めているのだが、
当塾の私立生を見ていると、5教科の成績はイマイチだが「宗教」「芸術」系教科の成績が極端に高い(学年5位以内に入る)者が傾向として少なくない。

原因としては、数学や英語といった地道な演習(トレーニング)を要する教科は苦手だが、感覚で乗り切る教科に強い。つまり「知性<感情」のタイプということだ。

現代は知能の高さ(知性>感情)が評価される時代だが、「知性<感情」とする価値観の世の中ならば、そういった志向の生徒に光が当たるだろう。

しかしながら、そうは言ってもこれこそ「知・情・意」のバランスに欠けるものであり、「知性<感情」の者も自分の天性に溺れることなく、この世的な努力を怠ってはならない。人間として生きている間はあくまで「知・情・意」のバランスを心掛けるべきだ。

森信三先生の『修身教授録』<学校の成績(P.467)>にその答えがある。