考える人、考えない人

大阪府が示す休業要請に関する床面積の要件を下回っていたこともあり、当塾は緊急事態宣言期間中も感染症対策を施した上で通常通りに開塾していたが、学校が停止していたこの期間に塾の授業が続行されるという、「学び直し」または「先取り」をしていた生徒にとっては極めてアドバンテージとなる期間であったといえよう。

実際、この7月下旬になって、この期間を活かせて今に至っている生徒とそうでない生徒にくっきり様子が二分されてきている。

例えば、ホチキスで綴じられた3枚のプリントを提出する場面があったとしよう。細かい観察になるが、プリントの2枚目または3枚目をめくったままの状態で提出してくる生徒は「考えていない」生徒である。考えていないということは「気が利かない」ということでもあるが、3枚目まで解いたら再び1枚目が表に来るようにページを戻してから提出できる生徒。こんな単純な話でさえ、やはり出来ない生徒は学力面でもかなり苦戦をしている。

生き方の上でも「考える」人間はどんどん先に進んで好循環を自ら拾っていくし、考えることを放棄している人は他人から指示されるだけの、ロボットのような、いやロボットの方が食費もかからずマシなのかもしれない。私の大学の時の指導教授が「考えない人」のことを大変侮蔑的な表現で「う○こ製造機」と呼んでいたが、当時私自身が嫌悪を感じたその言葉の表現の是非はともかく、考えないことへの怒りに端を発していた教授の言葉は今になっては全く的外れでもなかったのかもしれない、とも思う。

考える人か、考えない人か。これは偏差値が高いか、低いかの問題ではない。