探究的な生き方とは

先週の『学校の大問題~これからの教育リスクを考える~』より。

「探究が自分事である必要」(P.109)とある。

卒塾生のH・K君を例に挙げるが、彼は高校3年の卒業まで、毎週塾に来るたびに開口一番「いま、学校の進度は○○です、○○までが試験範囲になりそうです」と報告していた。

当事者になるということは、そういうことではないか?
自分が人生の主人公になることを「当事者になる」または「自分事である」と言うのである。

つまり、学校や塾がキットとして「探究」を用意したとしても、それは所詮キットに過ぎず、むしろH・K君のように学校の進度やテスト範囲が常に自分事になっていること、それを「探究的な生き方」と呼べるのではないだろうか。

H・K君は常に自分の進路や将来の方向性を認識し、すべて「わがごと(我が事=自分事)」としていた。自分自身の人生に、自ら日夜種まきしているのである。反対に言えば、自律的な思考の無い者にキットとして「探究」授業を与えても、無意味であることが分かる。

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