最小限の対面指導でチェック機能を

「9月入学」推進の議論が出始めている。
そもそも海外が9月始業のため、日本も9月始業にすれば大学入試も日本だけでなく海外の大学を併願できるという訳である。

ただ、今年の冬以降に気温が低下して感染症の次の波が来る可能性も専門家により指摘されており、12月から春にかけて再び休校にでもなれば1学年吹き飛んでしまうリスクもある。私個人は今の段階では9月入学を導入すべきでないと考えている。

さて、私の師匠筋にあたる故・T先生は歴史教科書の執筆にあたるほど長年公立中学校の教員をつとめ、公教育のエキスパートでもあったが、実は「個別指導」という概念を本質において理解しておられなかったのではないかと僭越ながら私は思っている。

私は純民間からの這い上がりで家庭教師経験も比較的長かったので、今当塾を運営していても、家庭教師の延長線上にある塾が当塾である。生徒が複数同時着席していても個々で全く異なる指導をしている当塾のスタイルは業界用語で「集団個別」と呼ぶ。しかし、学校のように大人数の指導から入ってしまった先生は、意外と「集団授業」の感覚が抜けきらない。

つまり、30人いても「集団授業」、生徒数が減って2人になっても、1人になっても授業のスタイルは「集団授業」であったりする。というのは、いわゆる講義先行でまず自分が喋る、その上で生徒にリアクションを求める、そして先生が講義をして締める。先生の中で自己完結しているのが「集団授業」である。「どうだ、分かったか?」「うん、わかった」で終わるのが集団授業だ。

当塾の場合はぶっきらぼうだが、むしろまず生徒に「解いてみい」と解かせる。その上で問題点を浮き彫りにして、講義、解説、ヒント出し、調べ待ち、質問、問答、静観、と生徒の呼吸を見ながら生徒自身の引き出しを喚起する。生徒自身がその問題を解けることをほぼ唯一の目的とする。いわゆる「集団授業」と正反対のアプローチである。

当塾のスタイルが正解だとは思わない。ただ「集団授業」は生徒の従順さといった封建的な土台があって初めて成り立つもので、現代それが成り立たなくなってきたから「集団授業」に代わる双方向型のアクティブ・ラーニングなる概念が登場したはずだ。

その流れにおいて、今になって学校や塾が「これからはオンラインだ」と必死になって映像収録に取り組んでいるのは、無駄だとは言わないが、その方向で良いのか?と私は大変疑問に思っている。

チェック機能の存在しない授業は意味がない、ということは以前に述べた。

オンライン授業ならば、リクルートや学びエイド、すらら、また東京書籍が理社のデータベースを構築していたり、時間を掛けて設計された映像ツールが既に民間で多数用意されている。NHKのEテレも同様だ。視聴数の伸びないYouTube配信よりも、これらの既存ツールの振り分けをコーディネートする方がよほど合理的で生徒も楽しめるのではないか。

そして、チェック機能という点で言うならば
平成30年5月現在で、大阪府の中学生は225,305人、中学校の教職員は16,700人いる。単純に割り算すると、中学校で先生1名あたり生徒が13.5名が割り振られることになる。

私の経験では、先生1人だけで上限25名までの個別指導(もちろん同時指導ではない)は可能である。25を超えると網羅に漏れが出てくるし、先生自身が心身ともにきつくなる。フルタイム勤務の先生だったら20名まで無理なく指導出来る。15人だったら理想的に余裕をもって指導出来る。

早朝の部、午前の部、昼の部、午後の部、夕方の部と1日をシフトに分けて生徒を分散登校させ、先生は既存の紙教材を使用したチェック機能と、その生徒に応じた映像教材の配分(あなたはこの動画を見ておきなさい、とコンシェルジュ的役割)を元にした対面指導、ということだけに注力できないものか、と思う。

今後、新型コロナのみならずデング熱、南海トラフ地震と災害が頻発する可能性も充分にある。休校措置も珍しいことではなくなるかもしれない。これまでの「形」(枠組みと必要時間)を維持するのではなく、最小限の時間で確実に生徒を伸長の方向に導ける対面指導の導入はそう難しいことではないはずだ。

以下は余談だが、
来年に限らず、突発的な原因により今後の入試が流れていく可能性はある。
図らずも大学入試改革で実施する「高校におけるテストの成績を大学入試の資料に用いる」考え方がいきなり高校入試に転用される可能性も無いとは言えない。2~3月の入試が出来なくなったら、各校の中間・期末テスト、チャレンジテスト、実力テスト、五ツ木模試といった年間をかけた継続資料が高校入試の合否判定に使われる可能性が出てくる。休校になったからといって、好きなことをしながらも、一方で継続的に勉強しなくてよい訳ではない状況がますます強まるだろう。