自分の気の向かう所に没頭せよ

2月末に学校が休校期間に入った当初、「作文講座」「自由研究」を塾で出来ないか?とぼんやり考えていた。実際には感染症の状況が深刻化し、必要以上の生徒の来塾と塾内の密集は絶対に避けるべきということで、とても両講座を実行する状況ではなくなった。

私自身の昔を思い出したのだが、「自由研究をせよ」と他人から言われてする自由研究ほど不毛なものはないのではないか、と。小学校の夏休みの自由研究でも、母が代わりに仕上げてくれていた気がする。

ところが私は物心ついた頃から、いわゆる「内職」が好きで、家にいるとティッシュペーパーの箱や市販の工作用紙を使って鉄道の駅や建物の模型をよく作っていた。最も熱中していたのは中学生の頃に深夜のラジオを聞きながら、放送局の内観模型を小規模から始めて次第にリニューアル工事と称して増築させていくという超妄想プロジェクトで、夜中に突如ドアを開けて入ってきた親に「あんた、何馬鹿なことやってんの!勉強しなさい!」と何度怒鳴られたか数知れないが、当時の自分としては「いけないことだけど、楽しくて仕方がない」という認識であった。

そういった自分にとって「裏」の出来事であった「内職」が、突然表舞台に出てきたのは大学1年の建築学科に入学してからであった。初めての設計課題でデザインし、模型を作った作品が担当教授に評価された。今まで「いけないこと」だったことの蓄積が、自分では特別なことでなく内職のノリで作った作品なのに表舞台で通用するものであったことを知り、「なんでもっと自分は小・中・高の頃に内職を極めなかったのだろう」という後悔につながった。

後悔になった時には時すでに遅く、そこから内職を復活させようとしてもモチベーションが湧いてくることもない。つまり、内職は子供時分のしたい時に存分にしてこそ内職なのだ。「自分が子供の時にもっとパソコンに没頭できる環境(親に勉強しなさい!と怒られない)だったら今頃自分はもっとすごいことになっていたのではないか」というホリエモンの話をどこかで聞いたことがあるが、全く同感だ。

私はその後、社会人としては建築の道には進まなかったが学生時代に日本設計という建築設計事務所で図面や模型の作成をアルバイトとして携わることが出来た。東京のTBS放送センターや、谷四のNHK大阪放送局は日本設計が手掛けている。

この話が参考になるかどうかは分からないが、生徒にはもし今自分がしている「楽しいこと」があるならば、突き詰めて楽しんでマニアックに掘り下げてほしいと思っている。塾の課題は課題で誠心誠意きちんとこなすことは当然として、この今の社会の空白時間は、ある意味<チャンス>である。これからの時代に<個人差>がますます出るというのはそういうことでもある。YouTubeもいいが、基本的に受け身で見ているだけのものは頭を使わないので、あまり生産的ではない。

自分の気の向かう所に没頭したい時に没頭しておくのが、自らの将来の道を拓くヒントになることは間違いない。ということで、「自由研究」は塾が”けしかける”ものではないと思うに至った。