論語と算盤~その3

【競争】
何かを一所懸命やるためには、競うことが必要になってくる。競うからこそ励みも生まれる。「競争」とは勉強や進歩の母なのである。しかしこれは事実である一方、「競争」には善意と悪意の二種類がある。毎日人よりも朝早く起きて、よい工夫をして知恵と勉強で他人に打ち克っていくのは良い競争。一方で、他人のやったことが評判がよいから、これを真似してかすめ取ってやろうと考え、横合いから成果を奪い取ろうとするのは悪い競争に外ならない。(P.158)

【道徳】
道徳というものを難しく考えてしまい、格式ばった文字を並べ立てていると、茶の湯の儀式のような形骸化に道徳が陥りかねなくなる。一種の唱え言葉になって、道徳を説く人と道徳を行う人が別になってしまう。

そもそも道徳は日常の中にあるべきことで、時間を約束して間違えないようにするのも道徳だ。人に対して譲るべきものは相応に譲るのも道徳である。人に先んじて人に安心感を与えるのも道徳になる。何かをするのに弱い者を助ける心を持たなくてはならないのも道徳だ。このように、ちょっと品物を売るというだけでも、道徳はその中に含まれている。だから道徳は朝から晩までついてまわってくるものだ。

ところが、道徳をとても難しいものの様に見なして日常の道徳を隅の方に追いやり、「さて今日から道徳を行うぞ」「この時間が道徳の時間だ」といったように仰々しくやろうとする場合がある。道徳とはそんな億劫なものではないのだ。(P.160)

【社会の利益になる仕事】
私は常に、事業の経営を任されるにあたっては、その仕事が国家に必要であって、しかも道理に一致させたいと心掛けてきた。例えば、その事業がどんなに小規模であって自分の利益が少なくても、国家に必要な事業を合理的に経営するなら、心は常に楽しんで仕事ができる。私は『論語』を商売する上での「バイブル」として、孔子の教えた道以外には一歩も外に出ないように努力してきた。それによって私は「一個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべき」という考え方を、事業を行う上での見識としてきたのだ。(P.163-164)

『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一・著、守屋淳・訳 ちくま新書)

授業で「これから道徳の時間ですよ」というのはチャンチャラ可笑しいということになる。
日頃、両手でモノを受け渡しすることも道徳だし、都度ハイと返事をすることも道徳。コンビニで買い物をしたら「ありがとう」と店員さんに一声添えるのも道徳だ。

このように、行動することが道徳であって、道徳の教科書を読むことが道徳ではない。

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