長文のコミュニケーションが下手

例えば塾の欠席連絡など、数年前までは「メールではなく電話で連絡しないと失礼になるよ!」という感覚がなんとなくあった。それくらいにメールは簡易な手段で正式には電話を、というニュアンスがあったように思うのだが、今はむしろ「メールが正式の手段で、LINEが簡易の手段」という風に感覚が変化してきている。

しかし、今は企業内でもグループLINEを社内の正式な連絡手段にしているケースも増えており、電話どころかメール自体も骨董品のようになりつつある。

さて、12月5日の読売新聞朝刊記事より。

—(引用ここから)
*「この公園には滑り台をする」文章作れぬ若者
*主語・述語が不明確で、意味が通じない
*SNSを通じて、ぱっと書いてぱっと送る習慣がついてしまった。推敲して文章の質を高める努力をしなくなったため、書けない、読めない人が増えている
*LINEで短文をぽんぽんと送り合うことに慣れてしまって、接続詞を使っていない
*会社のホームページの問い合わせ文に絵文字を入れてくる学生も目立つ
*大学教員によると、大学からメールを送ると、宛名も自分の名前もなく、「どこ行けばいいですか」と一行だけ返してくる学生もいる
*読み書き「今や特殊技能」
*長文嫌い、接続詞は苦手
*ゼミで発表させると、『そして』『そして』『そして』…と連発する学生が大勢いる
*「違った」を「違かった」と言う
—(引用ここまで)

いつの時代も「若者の言葉の乱れ」は困った問題として話題になることが多いが、以前は間違った用法での言葉遣いの問題。今起きているのは、単語や文節でのやり取りが主流になり、長文でのコミュニケーションが下手になっている若者が増えている、という状況。

これは塾内で生徒と会話をしても感じることで、自分自身の状態を説明することの不得手な生徒が増えたと思うのだ。ボソッ、ボソッと細切れに断片的な単語・文節を発するのだが、「〇〇はこうで〇〇なので、〇〇になって、〇〇なのです」といった流れになっていないから、都度こちらから詳細を尋ねながら話を進めていかないと、こちらとしても状況の全体がつかめない。

実際、私も普段LINEを使っていると、「それいいね」とか「分かった」、またはスタンプを使って用件を済ませてしまい、文章で説明する機会自体が減っている。

まだメールの方が文章の読み書き能力の研鑽につながるが、人間は楽な方、便利な方へと流れていくので、時代が逆行することはなく、単語・文節でのやり取りが日常のコミュニケーションの主流と更になっていくのだろう。