シゴトの進め方(集中と多動)

千葉では電車に乗らず毎日自動車にばかり乗っていたのが、大阪に移転してから電車に乗る生活に切り替わって、車中で何かと物を読むようになった。この頃は気づいたら目的の駅に着いてドアが閉まる寸前だった、といったことも多く、読み込むことに没頭しているというか集中し過ぎているのを自分でも実感している。

高校の頃が東京の地下鉄東西線と日比谷線に毎日乗る生活だったので、そこでもよく本を読んでいた。『竜馬がゆく』シリーズは車中で時間が足りず、学校の休み時間にも読むようになり、気づいたら授業が始まっていた、ということが何度もあった。更にさかのぼれば小中学生の頃、勉強よりも通称「内職」という自主的な工作が大好きだったので、家に帰るとティッシュの箱や市販の工作用紙で建物や駅の模型を作っていた。そして親に「なんで勉強しないの!」と怒られるパターンだったが、本当に楽しかったので毎晩夜中4時頃まで時間を忘れて集中していた。

今の私自身でいえば2つの仕事の処理パターンがあって、ひとつは「これと決めたことだけに集中して処理しようとする」ケースと、「あれもこれも手をつけながら徐々に全体を片付けていく」ケース。前者は限られた期限での仕事を終える時、後者は自分の気持ちが定まっていない時である。

どちらが良いということではなく、その日の気分や体調によって使い分けるので、他のことに脇目もふらず一点突破で没頭する場合もあれば、多動でウロウロしながら仕事を終えていく場合もある。塾の指導も同様で、生徒の「気」を見ながら、集中してひとつの課題に特化する日もあれば、サンドイッチ式に複数科目や複数単元をおりまぜて進める時もある。

前者↓

後者↓

後者の「マルチタスク」でいえば、潜在意識の活用を忘れてはならない。

塾通信の原稿を書きながら、煮詰まったな、先へ進めないな、となった時に、そこでうーんと時間を費やすのではなく、別の資料作りを始めたり、トイレの掃除をしてみたりする。すると、潜在意識の方には既にクエスチョンが投げかけられているので潜在意識が勝手に「うーん」と自動で考えてくれ、他の仕事をしているうちに元の仕事の答えを導きだしたりしてくれるのだ。

こんな風に仕事を進める(勉強は社会人における仕事のデモンストレーションなので、扱う商材が異なるだけで人間にとって得られる効果は同じだ)ことで、仕事の奥深さ、醍醐味のようなものが次第にわかってくる。