同じ釜の飯

先ほどの刑務官のIさんとは、私が渋谷の國學院大學の神職養成講習会で出会って以来の付き合いである。当時私が大学1年でIさんが大学4年だった。年配の方まで社会人が中心の年齢構成のなかで私たちは最も若い部類だったように思う。大学で4年かけて学ぶ者は首都圏では國學院大學の神道文化学部に入学するが、これは各地の大手神社の跡継ぎクラスの人々が多く、小社や兼業で神社をお祀りしている人たちは各県神社庁の推薦をいただいてこの講習会で学ぶシステムになっている。

「講習会」とは言うものののかなり厳しいカリキュラムで、古事記講読から宗教法規、歴史から祭式まで幅広く神社にまつわる講義が月曜から土曜の早朝から夕方までびっしり組まれている。座学は居眠り厳禁で、当時政教分離の問題で「朝まで生テレビ」にも度々出演されていた大原康男先生から、疲れ果てて居眠りしている学生が大声で怒鳴り上げられる、という場面も何度もあった。机に腰掛けるとか、集合時間に遅れるとか、体罰は無くても容赦なく大声で叱られる、という雰囲気。特に祭式という作法の実習では、長時間正座をしたのちに点呼で「はい」と返事をしながら真っ直ぐ垂直に起立しなければならない、米の盛られた大きな杯を両手に差し上げたまま膝ですり足しながら國學院の体育館を往復する、女性は辛すぎて泣き出す、といったそんな毎日で、一日が終われば祭式実習のチームで翌日の実技テストの練習を院友会館で延々行う・・・という日が1か月以上続く。

この講習会の朝夕に渋谷キャンパス内の神殿で朝拝・夕拝が行われ、整列して毎日私の前にいたのが、このIさんだったのだ。12/16のセミナーでも「同じ釜の飯」と表現したが、本当にIさんと私は同じ釜の飯を食べた友である。(Iさんの方が年上だが)

実は、この講習会で同じ釜の飯を食べたもうお一方が、元習志野4中校長の鷹野智一先生だった。同じ釜の飯ということで「鷹野さん」「神尾さん」と呼ぶ間柄であったが、鷹野さんがちょうど鎌ヶ谷にお住まいだったので、帰りの東西線で門前仲町まで(この時私は深川に住んでいたので)ほぼ毎日ご一緒した。今から2年前に鷹野さんが亡くなって、道野辺八幡宮の奉職時に鷹野さんと出会われた白井康城氏(現:富士講小御嶽分霊社宮司)と船橋の馬込斎場で鷹野さんの神葬祭をつとめさせていただいている。

そんなこんなで、完全に私の身の上話になったが、人とのつながりがまた別のつながりを生み、またチャレンジで飛び込んだ所で新しい出会いがあり、そこから思わぬ経験を得ることもあるし、そうやって人間は成長していくのだな、としみじみ思うのだ。Iさんにしても、鷹野さんにしても、それなりに厳しい想いをして共に過ごした仲間というのは何とも言えない連帯感というか、切っても切れない縁のようなものを感じるのである。