T先生の五十日祭にて

8月下旬、習志野市立第4中学校長、実花小学校長など教育行政を歴任されたT先生の五十日祭をご自宅で執り行わせていただいた。7月下旬には馬込斎場の第1式場で100人規模の通夜祭・葬場祭を奉仕させていただいた。(通夜祭・葬場祭=仏教における通夜・告別式、五十日祭=仏教における四十九日)

T先生とは約20年前に渋谷の國學院大學で開催された社会人向けの神職養成課程で出会い、帰りの電車でたびたびご一緒したことから懇意にさせて頂くようになった。T先生は当時61歳。講義といえば居眠りでもすれば講師の激しい怒声が教室に響き、一日でも欠席・遅刻・早退をすれば修了が認められない、また、祭式の授業となれば雪の降りしきる氷点下の國大の旧体育館で、両手に米の盛られた三方(さんぼう)という供え物を載せる台を持ったまま中腰の姿勢でひざを床にこすりながら体育館をナン往復もするという、あまりの過酷さに女性受講者の嗚咽(おえつ)が方々から聞こえ出す、そんな連日の指導を受ける中、「おいT」「おい神尾」と受講生の年齢に関係なく叱咤される神職課程を共に味わわせていただいた、そういう意味ではT先生は私にとって「同じ釜の飯」を食った仲間でもあった。

五十日祭の祭儀後、そんな思い出をご家族と語りながら、「でもうちの主人はそんなに大変だったなんて、泣き言を一切言わなかったのよ」とT先生の強さ・たくましさも垣間見え、教員を退職後にセカンドキャリアで神職としての道を歩まれたT先生に改めて心から敬意を感じた。

生きていくということは色んなことがあるし、想定だにしなかった出来事にも出くわす。でもそういった時に多少でも動じない心、恒常心(常に心を保つこと)を少しでも持てるようになったのかもしれない、と思うのはこうした厳しい経験があったからだと自分で振り返って思う。また、そういう神職になれ、という國學院の先生方の無言のメッセージが、今になってやっと胸に突き刺さるように分かるようになったとも言える。

厳しさは本気の表れだ、といって厳しくすることを前提にするわけではないが、生徒に求めるべき理想があれば、それを掲げて追求させていくという、生徒が20年くらい経ってから「ああ、あの時の指導はこういうことだったのか」と後でジワジワ来るような、意義と味のある神尾塾の指導を求めていきたい。