塾の仕事

塾が生徒に提供する仕事は何かと問われれば、この2点に集約される。

◎基本的なあいさつ、礼儀を出来るようにすること
◎生徒が学習のアクセルを自分自身で踏み出せるようにすること

先生の講義や教え方が上手いというのは副産物のようなものであって、それはこの仕事に必須な技能ではあるけれども、決して主題ではない。先生がどれだけ熱心に講義を垂れても、その講義が生徒のつまずきを解消したり、生徒自身が自学を深めるきっかけに繋がっていなければ何の意味もない。

講義の的確さ、秀逸さを追求するのが予備校であれば、生徒の人格を整えて学力の向上を追求するのが塾の役割ということになる。

「生徒が学習のアクセルを自分自身で踏み出す」というのは、生徒自身が前向きな気持ちを持つことでもある。いちいち指示されないと動けないのではなく、自分でどんどん問題を解き進めたり質問をするという、他人事ではなく主体的に取り組む気持ちを持てば、それは社会人になってからの仕事にも通じるし、周囲の人からのサポートも得られるようになる。

西郷南州遺訓に【世人(せじん)の唱ふる機会とは、多くは僥倖(ぎょうこう)の仕当てたるを言ふ。真の機会は、理を尽して行ひ、勢をつまびらかにして動くと云ふに在り】とあるが、自分の日頃の積み重ねが必然的に幸運を運んでくるのであって、努力をしない人間に真の幸運など訪れるはずもないのだ。

こういった前向きな気持ちに周囲の援助が加わって行動がスムーズに進捗できるようになる。そして、更にその人の根本に適切なあいさつや振る舞いが身についているならば、更に周囲の人々からの敬意も集め、結局その人自身の幸せに繋がるのだ。

神尾塾が目指すのは、生徒が前向きな気持ちを行動に転化させるための環境づくり、そして人間の所作の根本づくりだ。そこから成績が上がった、集中力が身についた、という収穫に繋がっていく。