関係性から生まれるもの

この2週間ほど面談の機会が多かったのだけれども、一つの面談が終わった後で、「自分は何故ああいう話をしたのだろう」と思い返すことがある。

私自身にどの程度の引き出しがあるのかは別にして、例えば「Aさんとの面談」と「Bさんとの面談」では明らかに私の中の引き出されているものが異なるように感じるのだ。

「何であんな話をしてしまったのか」と後悔する時もあるが、それも「Aさん」であったり「Bさん」であったり、それぞれの<関係性>から生まれてきたものであって、「私が話すこと」という唯一絶対の回答があるのではなく、<関係性>のなかで「Aさんと私」「Bさんと私」に応じた回答が醸されている。

それはもちろん、一人ひとりの生徒対応も<関係性>から生じていることになり、「C君にとっての当塾」と「D君にとっての当塾」はまた別世界のように異なるということだろう。