不登校、いいじゃないか

不登校の生徒は全てが全てとは言わないが、総じて成熟したタイプの生徒が多いと私は見ている。

言い方を代えると「大人びた」「老成した」という表現で良いだろう。この、年齢に沿わない大人っぽさが、学校にいてその生徒自身に違和感を持たせる。自分の波長と周囲の同学年の子たちとの波長が一致せず、なんとなく冷めた感覚で「こいつらガキだな」という思いも出てくるのかもしれない。

ただ年齢的に、そういう自分がとても正しいとは思えない自信のなさも手伝って、学校がつまらない、友達と合わない、といった不調を訴え、何か生徒間でのトラブルが起きてしまえばそれが決定打となって不登校になってしまう。

不登校になる生徒は、その原因を尋ねると「人間関係がうまくいかなくて」「部活でトラブルがあって」と答える場合が多い。実際にそれを原因認定されてしまうことが多いが、私はこれはきっかけに過ぎないと考えている。老衰のお年寄りが死因に心不全や呼吸不全と書かれることがある。これは心不全や呼吸不全が死に至る直接のきっかけであって、その原因は単なる老衰だろう、というのと同じことだ。

不登校の場合、国府台病院のような児童精神科のある医療機関で受診して薬を処方してもらうケースも少なくないが、「そういうことじゃないんだよな」という例を私はいくつも見てきた。不登校は病気ではない。

塾としての解決策はただ一つ。その生徒を一人前の人間として、自分と対等の人格として向かい合うことだけだ。その生徒を子供扱いして見下したり、病気扱いするようなことは愚の骨頂である。その生徒は(完全ではなくても)一人前の成熟した精神を生まれながらにして持ってしまっただけで、そこに肉体という器が追いついていないだけだ。彼らは子供時代に自分が子供であることに苦しむが、これは高校、成人と肉体年齢が上がることによって解消されていく。

むしろ、成熟しているからこそ社会を見つめる視点も比較的しっかりしているので、自分の適性を踏まえて早々に進路を見出すことも多い。その生徒の人格を、完成された大人の人格として認め、その上で不足している知識、技能、教養を伝えていけばよい。私はむしろ、不登校の生徒に出会うのがとても楽しみである。