社会の即戦力になる

最初から神尾塾に入塾してきた生徒にはさほど抵抗がない話だとは思うのだが、旧初富教室の生徒を対象にあいさつ関係の指摘をした時に「は!?」という表情を浮かべられたことが2回あった。

ひとつは入退室の「失礼します・しました」「こんばんは・さようなら」の声が蚊の泣くような小声であったので、「ちょっと、その声だと全然相手に伝わらないよ」と伝えたら、「え、なんで僕がそんなことを言われないといけないの…?」という困惑した表情を浮かべていた。そう、困惑した表情だ。苦い表情、と言ってもいいだろう。もうひとつは、旧神尾塾でも事あるごとに伝えてきた「対象に向かってあいさつをする」ということ。「こんにちは、こんばんは、さようなら」を誰に向かって言っているのか、ということだ。

この点は個人差がものすごく出ていて、出来る子は何も指摘しなくても出来ているし、逆に指摘して出来るようになる子もいる。もちろん完璧な人間など居ないのだから、指摘されたことを素直に学習して、それから先は出来るようになれば充分だ。

たまに「玄関の扉に向かって」「空気清浄機に向かって」「外の景色に向かって」あいさつをしている生徒がいる。実際に、それらの対象に向かって独り言であいさつをしているのならば文句は無い。私も返答をする必要は無い。ところが、そこにあいさつすべき対象の人物がいるのに、それとは無関係の、いわゆる「あさっての方向」を見てあいさつする生徒がいる。まあ、学習塾はサービス業だと思えば、無難に放っておけばよいのかもしれないが、神尾塾はそういうジャンルではないと考えているので、数回の同様の行為を見過ごした上で、いよいよ指摘をすることになる。

「え、なんで俺がそんなこと言われないといけないの…??」私の思い過ごしならば良いのだが、どうしてもそういう生徒の素直な表情が一瞬で私に伝わってきてしまう。その後生徒は「あ、はい」と指摘を理解した反応をするのだが、そんな一部始終を見ながら、「ああ、この子はこういう指摘を受けないで今日まで来てしまったのだろうなあ」と思わずにはいられなかったりする。学校の先生も、塾の先生も、習い事の先生も、今はそういうことを言わなくなってしまったのだろう。むしろ、先生の方がそういったことが出来ていなかったり、ということも無きにしも非ずだ。

私の受け持ちの生徒であっても、授業間隔が10日から2週間程度空いてしまうと、生徒が両手でモノを渡せなくなってしまったとか、プリントを相手の向きに回せなくなってしまった、とかそういうことは起こり得る。ということは、彼ら・彼女らの日常生活にそういうことをきちんとする土壌があまり無いということなので、また継続して神尾塾に通っていれば行動が正されていくのだが…。

先日、とあるご家庭の方と面談をしていた時に、「神尾塾でされていること(礼儀関係)は、社会に出て即戦力になります」とおっしゃっていただいだ。手前味噌だが、私もそう思う。靴の向きを直せとか、両手で渡せとか、返事をしろとか、慣れていなければ軍隊のようなガンジガラメの重さを感じる人もいるのかもしれないが、これらのことは例えばセブンイレブンの店員が皆していることである。セブンイレブンで会計を済ませると、店員はレシートを両手で客に渡してくれる。

社会に出れば出来て当たり前だし、出来なくて「何、この人?」と思われるだけである。出来ない人は信頼されず、仕事を任されないだけなのだ。新教室が稼動して3ヶ月。新しい生徒も迎え入れながら、まだまだと思うことはたくさんあるけれども、神尾塾を「真っ当なよき学び舎(や)」にしていきたいと願う気持ちは変わらない。