大人が筋を通す背中を見て子供は育つ

今週火曜日に授業・自習に来ていた生徒はその一部始終を見ていたであろう。まず最初は、学校のワーク課題がほとんど終わっていなくて途中で帰らされた生徒。もう一人は同じく宿題が終わっていなくて、私から机に本を叩き付けられ怒鳴られて帰らされた生徒。この2点である。

一人目の生徒は、水曜日24時までにその課題を終わらせて教室に持ってくるという約束。出来なければ退塾。水曜日、私は西新井の教室だが、終了後鎌ヶ谷へ向かって24時ギリギリ。24時ちょうどに彼は課題を終えて持ってきた。よくやったと思う。

そこで私が伝えた3つのポイントのうち、2つを書いてみる。一つは、ワークが終わっていないならば自習時間を延長するなど自分で考えるべきだということ。何でも指示されたことしか動けないのではなくて、自己判断をして最大限の工夫をしてみなさい、ということ。自習時間の定時が2.5時間ならば、ワークが終わっていないのに定時の2.5時間で連日帰るのは「アホか?」と。二点目は、私は日常から事細かにこうしなさい、ということはガミガミ言わないが、何故言わないのか。それは「自分で考えなさい」ということ。「察しなさい」ということでもある。自分の全身の毛穴の感覚を開いて、自分がどう行動すべきかは自分で考えて行動しなさいということなのだ。

ただ、その考えるためのヒントはいくらでも出す。それが周囲の生徒の様子であったり、私のちょっとした態度であったりする。そこを読め、ということなのだ。難しいことではない。人を見て法を説け、という言葉があるが、いくらでもその生徒にあったヒントを導くように日常している。

午前0時半頃、その生徒が退出し、車で送って下さったお父さんと話をした。お父さんの認識は私とほぼ共通であったと認識している。これは大切なことだ。

共通の認識とは何か。それは、大人がブレてはいけない、ということだ。大人がブレたら子供は必ずブレる。大人が崩れたら子供も必ず崩れる。大人が筋を通さねば、子供が筋を通せない、目の前の現実から逃げる人間になってしまう。大人になって、豆腐の角に頭をぶつけて自滅するようなヤワな人間にはなって欲しくないのだ。

だから今日のタイトル「大人が筋を通す背中を見て子供は育つ」である。

誰にでも節目はあるものだ。うまくいかない節目など人生上いくらでもある。しかし、大切なのはそこで筋を通すことだ。例えば塾の宿題をしなかったら叱り付ける。これは当然のことだ。まして私が無理な宿題を生徒に押し付けたことなど一度たりともあったか???その上で出題している宿題とは塾と家庭の契約事項のようなものでもある。まして神尾塾では連絡ファイルという、家庭教師でもないのに毎回わざわざ個別に連絡簿を作って渡している。目の前にどういう宿題が出ているか、文字が読める人間ならば極めて分かりやすく毎回御丁寧に記している。

それでも宿題をしなかったら叱るのは当然であろう。こういう所で、「あーいいですよ、次回やってこようね」などと甘いことを言ったら、それこそ無責任だ。私はあくまで生徒一人ひとりに応じて法を説いている。机を叩いてでも自発を促さねば埒があくまい、と思えば容赦なく怒鳴りつける。それは私の感情でも何でもなく、魂の揺さぶりのためでしかない。大人の本気を示さなければその子に伝わらないからだ。

昨日昼、「何であんなに怒ったのか」というクレームを受けた。私は唖然としている。

こういう見当違いも甚だしい、不見識なクレームは神尾塾を始めて以来初めてのことだ。少なくとも日常、この塾通信を読んでいる人であれば、こういう不節操なことは言わないだろう。塾通信は各ご家庭において、しっかり読んで頂きたい。