大人の本気

いつものように宿題を丸付けしながら『無言の対話』を行っていたら(4/27「丸付けは先生がする」記事を参照)、ある生徒の宿題で大きな問題点が2つ目についた。一つ目は、数学で「ここだけは絶対に省略してはならない」と再三念を押していた途中式が書けていなかったこと。二つ目は、とあるアルファベットの書き方のことである。「これだけは絶対にこう書いてはならない」と毎回指摘していた所だった。

たったこの2点だけなのだが、その2点についてこれまでの指導が本人の中に定着していない(生徒自身にとって、そのことを軽く見ている)ということは、今後の指導を続ける上で重大な障害になる。「一事が万事」という言葉があるが、ここを確実に習得させないと先に繋がらないという重要ポイントはどの分野にも必ずある。

指導者によっては、「答えが合っているから、まあいいんじゃない」もしくは「今度から気をつけようね~」で済ましてしまうかもしれない。しかし、こちらとしてはここで一歩踏ん張って勝負をしなければ、この指導は負けである。

と、考えた時点で授業開始後10分も経っていなかったが、特に何か説教じみたことを生徒に伝えることもなく、授業をその場で打ち切って、ご家庭のお迎えの車に来ていただくように指示した。生徒としては何故授業が打ち切られるのかも分かっていないだろうし、ご家庭としても送ったばかりなのに何故すぐに迎えに行かなければならないのか、とにかく「?」だらけだっただろう。お迎えに見えたお母さんに事情をお話し、今回の問題のどこが『急所』であるかを伝えた。

さて、数日後。

次の授業回にその生徒はやってきた。手にした宿題のプリントは1枚1枚みな見事にボロボロになっている。ここまでボロボロになるのか、というくらいにシワだらけになっているし、裏面を縦横にセロテープが貼り巡らされているものもある。

授業を中止した日の夜、帰宅後のご家庭で何があったのか。

私は思わず苦笑してしまったが、しかし、同時に「これが大事なんだ」とも思った。プリントがボロボロになっているのは、水に濡れてしまったから、とかそういうことではないだろう。あくまで私の憶測に過ぎないが、ご家庭のなかでその夜どのような壮絶な「出来事」があったのか、を想像せずにはいられなかった。

そして、それを思うと「ちょっとその生徒にはかわいそうなことをしたかな」と0.5%程度の後悔が起こった一方、残りの99.5%の気持ちは「ここまで本気で向かい合ってくださるご家庭だからこそ、この生徒の指導は必ず上手くいくだろう」という確信を持てたのであった。

何事も、真剣勝負である。