丸付けは先生がする

時と場合にもよるが、「先生が丸付けをする」ことが大切である。

課題の量がたくさんあっても、生徒に解答冊子を丸投げして採点させることは、私の場合まずしない。生徒自身が丸付けをする場合、「そうか、自分はこんな所を間違えてしまったのか」と解答と解説を見比べながら学習を深めていける生徒は極めて少数で、ほとんどの場合、ただ「合った」「合わなかった」の、字の如く「丸付け」にしかならない。

なぜ先生が丸付けをするのか。それは、問題の解け具合を見るということもあるが、それだけでなく途中式や筆跡・筆圧から生徒の癖や習慣、心理状態といった情報をふんだんに読み取ることが出来るからだ。これによりカンニングを見破ることは初歩的な話で、指導がきちんとその生徒に貫徹しているかどうかを確かめることも出来る。

生徒がその課題に取り組んだ当時の集中力の度合い、問題文を読んでいるかどうか、もっと言えば「かったるいな、と思いながらこの生徒はこの宿題を処理したのだな」、という気持ちが透けて見えてくることもある。他にも、「この生徒は今、乗っているな」とか「ちょっと下降気味だな」とか、そこから今後この生徒がどこへ向かっていくか、という方向性を占うことも出来る。

指導者にとって丸付け作業とは、言葉を交わさない「生徒との対話」なのだ。今後の指導指針もそこで決まってしまう、と言って過言ではない。