S君の悲劇

S君という男の子がいた。私が神尾塾を立ち上げる遥か以前の講師時代の話だ。

小学6年生のS君は中学受験をするということだったが、授業では公立中進学向けの教科書準拠教材を使っていた。私が担当する算数は週1回で、S君自体は教室に週3回は通っていたはずだ。しかし、塾のS君に対する体制がどうも受験指導向けになっていない。「この方法で受験に間に合うのかな」と思いながら秋を迎え、やがて冬になる。主任の先生は「大丈夫ですよ、私が土曜日に受験教材を使って教えていますから」との話だったのだが、「主任がそう仰るのだから、問題ないのだろう、任せよう」と、私はそのままのカリキュラムで授業を続けた。

S君は結局、落ちた。私立中学の受験に失敗して、公立中学校へ進学することになった。

S君のお母さんとしては「塾に任せているから」という安心感もあっただろうし、親として具体的にどう動けばよいか分からなかっただろう。塾に子供を預けておけば、大丈夫なんだろうという漠然とした期待感のまま小学6年の1年間を過ごしていたように思う。そして受験に失敗しても、お母さんは「息子の力不足でした」と言ってしまう。

こういった悲劇は集団授業・個別授業を問わず、実は多くの組織型の学習塾で発生している。

S君は、その典型例だ。複数の講師が科目を分担して授業を受け持っている場合、講師の間で「○○先生が何とかしてくれるだろう」という、依存心と甘えと逃げの気持ちが必ず発生する。この件の場合、主任の室長先生がS君の受験指導の体制をつくるマネジメントに余裕を持っていなかったということも更に状況を悪化させた。結果として、S君の家庭は多額の授業料をドブに捨ててしまった。

その生徒に携わる一人の講師が、生徒の人生を踏まえて、その進路、受験、生徒の現状。これらを一直線上に置いて見据えた上で今、そして次の一手をどう打つかを「当事者意識」をもって考える。このマネジメント能力と責任感が、指導に携わる講師に不可欠なのである。マクロとミクロの両方の視点を行き来しつつ、常に積極的に生徒の進路検討にアプローチしながら一挙手一投足の指導に反映させていく。これが機能していれば、S君の悲劇が再び起こることは絶対に無いだろうと、私は確信している。

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kamiojuku