そして、亀戸へ

昨夜は22時過ぎに最終の生徒が退出し、それから1時頃まで教室移転の準備を進める。氷点下の気温で凍った車を暖めて帰宅しようとするが、ふと走りたくなって近年街開きした津田沼の奏の杜あたりを経由して江東区の亀戸までドライブしてみる。

亀戸には私の先輩であり師匠でもあった田内寛人先生の眠っておられる墓地があるので、寺の前で車中から合掌して4時頃帰宅する。
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「博多行くんだったら稚加榮(ちかえ)のつぶ出し明太子買ってきてよ」とか、そんな何気ない会話でさえ田内さんの声が今でも耳に蘇ってくる。今年の1月27日で没後2年、2月16日は田内さんの誕生日でもある。

以前も書いたが、毎年春から秋にかけて神尾塾通信で紹介している「学校訪問」は田内さんの進路面談が原型になっている。田内さんが公立中学校を退職して某塾の教室長(俗に言う雇われ塾長)だった時代、保護者への進路面談では一つひとつの学校の特色について的確かつ鮮やかに語る姿があまりに魅力的で、いち講師として傍らでメモを取りながら話を聞いていた私も大いに影響を受けてしまった。

その勤務塾が閉鎖されることになって、田内さんは「光進塾」という、ちょっと古臭いネーミングだったが都内で独自の学習塾を立ち上げた。「神尾さ~ん、一緒にやろうよ」と企画段階からお手伝いさせてもらったのだが、その頃私は既に神尾塾を立ち上げ、またLNS社のプロ家庭教師も兼務していたので週2回ならばということで光進塾の講師に入った。

程なくして田内さんは病に倒れ、東京の渋渋や埼玉の昌平といった私立高校の非常勤講師も退任し、光進塾の生徒も神尾塾の生徒として引き継ぐことになる。備品関係も神尾塾が譲り受け、現在教室脇に置いてあるホワイトボードなどは光進塾の名残となっている。

3週間後に迫った教室の移転では、田内さんとの思い出の備品を一部携えて移動することになるのが何と言っても感慨深い。田内さんが存命であったなら、田内さんと何らかの教室を営んでいたかもしれないし、そうでなかったとしても、色んな意味で応援していただけたかもしれない。でも今、その田内さんがいるのは天国…。

日々移転と統合の準備に追われるが、またいつでも亀戸まで車を走らせよう。そんなことを考えながら朝を迎えてしまった。

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