大阪と首都圏の私学を比較してみた

今年の学校訪問はあと1校でおしまい。大阪に移転してから今日までに私立を中心に19校を回った。首都圏では数年おきに同じ学校を訪問することも繰り返していたので、延べで言えば100校近く訪問していた計算になる。

首都圏の私学ではこの10年の間に進学校化が進み、実業系の専門学科は順次廃止。「大学合格実績」を声高に語る学校が増え、反対に言えば、その学校から「大学合格実績」を引いたら何が残るのか?と、〇〇の一つ覚えのような進学校化一辺倒の状況に私としては学校の個性に対するつまらなさも感じ始めていた。じゃあ全員東大に行けば良いのか、全員早慶上理に、GMARCHに行けば良いのか、と。

大阪の場合は公立優位ということと、私立の無償化、京大・阪大・神大、府立大・市立大、関関同立、産近甲龍と順にすそ野がそれほど広くないこともあるだろうが、首都圏ほど全体が受験競争に煽られている印象は受けない。あとは明治・大正期に創立された学校が多く、首都圏のように昭和40~50年代にポコポコと学校が生まれた環境とは異なり、歴史的な重厚感が大阪のどこの学校からもじわじわと感じられる。

それ故、旧家のお坊ちゃん・お嬢ちゃん的なヌルさのようなものも何となく首都圏の学校とは異なり感じられるものであるが、一つの学校を掘り下げてみた時の味わい、風土の豊かさのようなものは、古代から連綿と人が生き続けてきた大阪ならではの奥深さがある。

首都圏において、この学校はこのレベル、あの学校は難関レベル、という風に学校名を聞くと大体学力レベルや難易度を推し量ることが出来たが、大阪の私立は一つの学校で複数ランクのコースを抱えていたりするので、一概に学校名だけで学力を判断できない難しさもある。首都圏で中堅校が少人数かつ上位の特進コースを設けて、学校自体がコースによって雰囲気の異なる階層社会化していく状況を見てきたが、反対に大阪の場合は超難関とされる学校が下位のコースを段階的に有しており、高校入試の際も上位コースを受験して、何だかんだ言って回し合格(首都圏ではスライド合格という)でほぼ全員がどこかのコースに引っ掛かる仕組みになっており、結果として難関校でもさほど倍率が高くないというのも、大阪らしい独特の傾向であると思う。

このように私立入試の倍率が低い傾向と連動して、首都圏で定員充足率100%を満たしていない私立といったら「大丈夫か?」と思える学校のラインナップであったりするが、大阪の場合は堅調と思われる学校でも定員充足率100%を割っている学校が多く、定員充足率でその学校の良し悪しを一概に判断できないのも難しいところだ。大衆迎合に走っている学校が高い定員充足率で、こだわりや独自の理念を確立させている学校が大幅に定員割れしているという残念な状況も大阪では多々見られる。

それと相まって、私立学校のパンフレット送付や入試広報の先生方の動きも首都圏より大阪の方が活発で、首都圏の方がむしろ殿様商売のスタンスでいる学校が多いかもしれない。大阪は学校の学力ランクに関わらず、先生方の営業力というか商人(あきんど)感が強い。

統計を出したわけでもなく私の「何となく」だが、近ごろ流行りの「探究」型授業も、首都圏の方は学術的探究、大阪の方は企業とタイアップした商業的探究でビジネスコンテストで上位入賞する、といった、機械・建築の専門学科とは異なる一般的な商売や商品開発に関する探究活動が活発な気がする。

同時に生徒のプレゼンテーションにおいて「プチ芸能人的な」と称した学校が今年私の訪問した大阪の学校で複数あったが、生徒が既に商人化しているような、京大・阪大のようなトップを目指さないケースにおいて、アカデミックよりも商業的なコミュニケーション力の方で生徒たちは力を発揮しているようにも見受けられ、比較的全体的にアカデミックな首都圏とは異なる役割分担で、大阪出身の生徒たちはまたしぶとく自身の活動領域を得て日本社会で末永く生き延びていくのだろう、という印象も受けている。

ということは、大阪の水に合う人は合うけれども、合わない人は拒否反応を起こしやすいのかな、と推察してみたりもする。首都圏の方が全体的に無難といえば無難ではある。無難ではない独特の大阪の風土に、その磁石に吸い寄せられるように様々な国籍のルーツをもつ人たちが集まっている大阪、という感覚が私にはあり、まあ今後もう少し、この辺りの考察を深めていきたいと思う。