この人物が存在しなかったら、明治維新は為し得なかっただろう。内村鑑三・著「代表的日本人」(岩波文庫)より、読んでみよう。
—(抜粋ここから)
◎西郷隆盛の言葉(P.22)
「天を相手にせよ。人を相手にするな。すべてを天のためになせ。人をとがめず、ただ自分の誠の不足をかえりみよ」
◎西郷の性格(P.39)
西郷は人の平穏な暮らしを決してかき乱そうとはしませんでした。ひとの家を訪問することはよくありましたが、中の方へ声をかけようとはせず、その入り口に立ったままで、だれかが偶然出て来て、自分を見つけてくれるまで待っているのでした。
◎西郷の考え(P.40)
西郷は人間の知恵を嫌い、すべての知恵は、人の心と志の誠によって得られるとみました。心が清く志が高ければ、たとえ議場でも戦場でも、必要に応じて道は手近に得られるのです。常に策動をはかるものは、危機が迫るとき無策です。
◎西郷の言葉(P.42)
「機会には二種ある。求めずに訪れる機会と我々の作る機会とである。世間でふつうにいう機会は前者である。しかし真の機会は、時勢に応じ理にかなって我々の行動するときに訪れるものである。大事なときには、機会は我々が作りださなければならない」
◎「生財」と題された西郷の文章(P.46)
徳は結果として財をもたらす本である。徳が多ければ財はそれにしたがって生じる。徳が少なければ、同じように財もへる。小人は自分を利するを目的とする。君子は民を利するを目的とする。前者は利己をはかってほろびる。後者は公の精神に立って栄える。生き方しだいで、盛衰、貧富、興亡、生死がある。用心すべきでないか。
農業にたとえよう。けちな農夫は種を惜しんで蒔き、座して秋の収穫を待つ。もたらされるものは餓死のみである。良い農夫は良い種を蒔き、全力をつくして育てる。穀物は百倍の実りをもたらし、農夫の収穫はあり余る。ただ集めることを図るものは、収穫することを知るだけで、植え育てることを知らない。賢者は植え育てることに精をだすので、収穫は求めなくても訪れる。
徳に励む者には、財は求めなくても生じる。したがって、世の人が損と呼ぶものは損ではなく、得と呼ぶものは得ではない。賢者はほどこすために節約する。自分の困苦を気にせず、ひとの困苦を気にする。こうして財は、泉から水が湧き出るように、自分のもとに流れ込む。恵みが降り注ぎ、人々はその恩沢に浴する。これはみな、賢者が、徳と財との正しい関係を知り、結果でなく原因を求めるからである。
—(抜粋ここまで)
最後の一編は難しく感じるかもしれないが、じっくり繰り返して読まれたし。