人は死なない

先週の塾通信を書いた2日後、都内の学校へ説明会に訪れた帰りに南千住の駅前にある回向院というお寺に立ち寄った。ここはかつて小塚原刑場という江戸三大刑場の一つであったらしい。現在は手前に本堂が建ち、その奥左側に一般の墓地と、右側に史跡として幕末の志士や歴史上の刑死者が埋葬されている墓地に分かれている。

その史跡ゾーンの奥に、屋根付きの小さなお堂のような形で、先週紹介した「啓発録」を執筆した橋本左内先生が祀られている。刑場跡という、何とも因縁めいた場所なだけに、気味の悪い場所なのではないかと不安になりながら敷地に足を踏み入れたものだが、実際に左内先生の墓前にたたずんでいると、意外と落ち着いた、極端に言えばここでおにぎりの一つでも食べてもいいのではないか、という気分になってくる。刻まれた石碑は風化してところどころ欠けて文字が読めなくなっているが、幕末の志士達の、生きた足跡をまざまざと感じられる場であった。

墓参を済ませて、南千住回向院を後にする。何か、無性に悲しみがわいてきた。胸の詰まる想い、とはこういう気持ちを言うのだろう。同時に、「人は死して死なず」という言葉がふっと自分の中に浮かんできた。橋本左内先生は26歳で亡くなっているけれども、その書き遺された思想・精神は今でも現代を生きる私たちに深い感銘と教訓を与えている。つまり、先生の精神は今まさに「生き続けている」のだ。姿形が物質として見えないだけで、先生の志、遂げたかった想いは今でも私たちと共に生き続けているということになる。「人は死して死なず」とは、こういうことだ。

ひるがえって言えば、見た目は生きていても、精神面では荒廃していたり生きる力を失ったりして、「生きながらにして死んでいる」人もいるのかもしれない。それならば、私たちは物理的な「死」ということを恐れず、生きた痕跡を日々とどめていけるような、実りのある一日一日を生きていかなければならないということなのである。