LearningとStudy


(原文)博聞強記(はくぶんきょうき)は聡明(そうめい)の横(おう)なり。精義(せいぎ)入神は聡明の竪(じゅ)なり。

(訳)何事でも博(ひろ)く聞いて諸々の事情に精(くわ)しく、記憶の強いということは賢明の横幅である。深く道理を探究して、神妙な奥義(おうぎ)に入るというのは賢明の奥行きである。

(付記)一般にlearning(学習)によって横幅は広がり、study(考究)によって奥行きが深くなるわけである。我が国では幼稚園から大学院まで前者に傾斜し過ぎるので、独創性が涵養されない。もっと自分で深く考え、世界的に独創性のある思想、文化、芸術、工業を創り出すことを切望する。

出典:「言志四録(一)言志録~第144章」(佐藤一斎著・川上正光全訳注、講談社学術文庫)

「言志四録(げんししろく)」は江戸時代の儒学者・佐藤一斎(いっさい)が執筆。西郷南州は「言志四録」を愛読し、座右の戒めとしていたという。そしてこの本を訳注されたのが川上正光先生で、川上先生は東京工業大学などの学長を歴任された電気工学者。

「Learning=学習」で横軸、「Study=考究」は縦軸。自分のなかに、この横軸と縦軸の広がりを持ちたい、ということである。「Learning」だけでは自分の頭で考えないことになるし、「Study」だけでは基礎知識・土台なしに何かを考えようとしても所詮大したものは出てこない、ということになる。「勉強=Learning+Study」なのだ。

ここで、論語の「為政第二~31章」を読んでみる。


(原文)子曰、學而不思則罔、思而不學則殆。
(書き下し)子曰わく、学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し、思うて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あやう)し。
(訳)孔子がおっしゃった。「学ぶだけで、じっくりと自分の頭で考えてみなければ、生きた学問とはならない。また、自分の頭で思い巡らすだけで、広く学ばなければ、危なっかしくて頼りにならない」

先日、京セラ創業者・稲盛和夫氏の講演をyoutubeで聞いていたのだが、当時82歳くらいにも関わらず「今、宇宙のことを調べて勉強しているのですが…」と。

経営破たんしたJALに経営的思考とフィロソフィを導入して会社を再建させたのが稲盛氏であることは記憶に新しいが、偉人というのは「Study」で常に思考しながら、更にそこに「Learning」を積み上げて、そしてそれを「Study」に発展させていく、というこの「Learning」と「Study」の実践を目の当たりにした。

恐らく、80歳でも90歳でも100歳でも「Learning」と「Study」の織りなす木の幹は天空に伸び続けていくのだろう。