すべての歴史は今に繋がっている

昨日のNHKスペシャル『渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜』。

俗に「ナベツネ」といえばワンマン・老害という先入観がつきまとうが、渡辺恒雄こそが戦中から戦後にかけての日本の生き字引。必見の内容であった。

出兵中つねに携えた哲学書。どのような環境であれ他者から侵されることのない反戦の意志。戦後は政治記者として、また記者の職務を超えて当事者として幾多の大物政治家と共に歴史の現場に立ち向かう。

番組の後半で「プラグマティック(実用主義、実際的)」という言葉が出てくるが、机上の哲学から始まった自身の思想を、最終的に政治の実務に落とし込み、読売新聞という巨大メディアを通して戦争の検証(過去の総括)と憲法改正の試案(未来への前進)に挑む。

岸信介の豹変、裏切られた大野伴睦、幼少の鳩山由紀夫を背中に乗せて遊んでやることで鳩山家へ出入りするようになったエピソード。東条英機、吉田茂、池田勇人、今となっては近現代の歴史の教科書に出てくるような人物が、番組では今そこに居るかのように次々と登場してくる。

さて、
私が東京に住んでいた子どもの頃、門前仲町という最寄りの地下鉄駅の入口には週末になると軍服を着たおじさんが小銭を入れる鉢のようなものを持ち立っていた。「傷痍軍人(しょういぐんじん)」という。片腕を失ったり、戦争で傷を負った人が通りすがりの人から金銭をもらって生活していたのだ。

少なくとも私が小学生の頃はそういう傷痍軍人の姿が東京各地で残っていた。私自身も100円とか、鉢に入れていた記憶がある。

先日亡くなった志村けん。志村けんと言えば、ザ・ドリフターズ。ドリフターズの代表曲の中に『ズンドコ節』というのがあって、近年では氷川きよしがカバーしているが、ドリフ版では1番から5番をメンバーそれぞれが歌って、6番ではいかりや長介が「元歌!」と叫んで全員で原曲である『海軍小唄』を歌っている。
https://www.youtube.com/watch?v=9i4JG-8RlsY

このように見ると、
当たり前のことだが<歴史は必ず繋がっていて>、先の戦争も決して遠い昔の特別な出来事では無かったことを実感できる。

先週、スマートフォンの航空アプリに「JAL123便」が誤って表示されるトラブルがあったそうだが、JAL123便といえば1985年8月12日に群馬県の山中に墜落した歴史上最悪といわれる航空事故の便名である。

時刻表の羽田~伊丹便の通り、123便は永久欠番になっている。

この123便に搭乗予定であった内の一人が明石家さんまだという話は有名だが、たまたま当日搭乗する予定が変わって事故を免れたことで、その後生まれてくる娘の名前を「生きてるだけで丸儲け」から「いまる」としている。

先日の表示トラブルは事故を知らない世代の社員による偶然のミスと言われているが、子どもの頃、ちょうど暑い夏の日の夜にテレビのニュース速報を見ていた私としては、とても偶然とは思えず、むしろ8月12日が今年も近づく中での、何かの戒めとしか思えない。

繰り返すが、<歴史は繋がっており>、かつての戦争も遠い過去の教科書の1ページではなく、<今にその痕跡が続いている>ものだ。

第二次世界大戦では、日本人だけでも300万人が亡くなったとされている。人口の約4%にあたる。

果たして、その亡くなった命が現代の日本を見て、どう思うか。
自分たちが死んだことで後世の人間が立派に頑張ってくれているな、と思われるのか、それともこんな体たらくな日本人をのさばらせる為に自分たちが命を落としたのではない、と悔やんでも悔やみきれない心境でいるか。

どちらであろうか。