意識の高い、教養のある人と接する

今年は何かと塾生OBと会う機会が多くなり、その生徒の成長を喜んだり、必要に応じてアドバイスを送ったり、ということが色々とあった。順風満帆のように進んでいる生徒もいるし、そうではなくスランプに陥っている生徒もいた。

で、うまくいっている生徒、そうでない生徒、彼らを通して、ひとつこういうことがあるのではないか、と私が思うようになったのは、「意識の高い、教養のある人と接する」ことが大事なのではないか、ということなのだ。先週紹介した工業デザイナーの水戸岡鋭治さんも、著書のなかで「意識を高めることが大事」とたびたび発言しておられる。

生徒の学力や、知識の程度、好奇心の強さなど、それは生徒自身の先天的なものだけではなく、育ってきた生活環境に由来すると漠然と私の中で思ってきたのが、実は少し踏み込んで、日常の中でどれだけ「意識の高い、教養のある人と接する」ことが出来ているか、によるのではないか、と考えるようになった。

例えば動物の例を見てみよう。
野生の鳥ならば、集団の群れの中で生まれ育ち、寿命も短く、集団の中の一羽としての生涯を遂げていく。ところが、今神社で飼っているスズメ(※野生動物は飼ってはいけないが、このスズメは神社の屋根から落ちてきたため、保護するところから始まっている)は、日常を人間の中で過ごして暮らしているため、個体意識が明らかに発達している。

鳴き声や羽根の膨らませ方、身体の動きで喜怒哀楽の感情表現を出来るようになってくるのだ。これは、外にいる野生のスズメではなかなか見られないことだ。外にはエサを求めに集団でやってくるスズメがいるので、彼らを見ながら比較することが出来る。鳥よりも発達した意識を持つ人間の中で育てば、人間から感化されて、鳥なりに個体意識が引き上がる様になっているのだ。

これと同じことが人間自身にも言えるのではないか、と私は思った。意識の高い人、まあ、これは一概に誰が高い低いということではないのだが、社会の中で意義のある活動をしている人、教養のある人、立派な見識を持っている人、そういった人に直接接し、話を聞いたり、その場を共にしたりすることによって、人は相当感化されていくのだろう、ということ。本を読むのはそういう取り組みのひとつだと言えるのだが、そこから受ける刺激、薫陶(くんとう=自然に伝わるもの)によって、知識欲や好奇心が高まったり、知恵や教養が磨かれたりするのではないだろうか。

そういったひとつ高い交流を自分から求めていくことで、それが人生の羅針盤となって、自分の進むべき道を考えるためのヒントが見えてくるような気がする。