ヒヤシンスの水栽培から学んだこと

私が小学6年生の頃、栽培委員会に1年間所属することになった。

そこでは委員全員が一人一鉢ずつ、ヒヤシンスの球根を水栽培で育てることになっていた。秋になると全員に水栽培ポットと球根が配られ、まず暗室での根出しから始まる。数週間経って根が生えてきたら、日当たりの良い窓際にポットを並べて水換えをしながら開花するのを待つ。

私は休み時間になると球根を育てている理科室に走り、自分のヒヤシンスを毎日水換えしていた。他生徒の中には週1回の活動日にしか水換えをしない場合もあり、そのような生徒のポットからは玉ねぎの腐ったような臭いが放たれていた。

秋も深まり冬になると、蛇口をひねった水道の水もかなり冷たくなる。しかし、私は日課のように水換えをし、ポットと根っこからヌメリが取れるまで指でこすり続けた。そして仕上げに球根の上から冷たい水を芽に向けて流し続けたまましばらく放置する。

そんなことを続けて冬休みを越えた年明け、私のヒヤシンスは誰よりも先に開花し、独特のよい香りを放ち始めた。また、花はすくすくと上に向かって伸び続け、立派なヒヤシンスの花の出現となった。委員会での割り振りによって、私のヒヤシンスは校長室に置いてもらうことになり、そこでも毎日校長室に出入りして水換えを行うことになった。そして、その花は誰よりも長く咲き続けた。

今となっては随分昔のことだが、学校生活というのは実は「気づきの宝庫」であって、色々な先生、友達と切磋琢磨をしている内に一つの観念、悟りのようなものを得られる機会であるということは間違いのない事実であると思う。一つの現象を通して、それをボーっと眺めただけで終ってしまう場合もあれば、そこで考察を深めて一つの人生訓のようなものにつなげていくことも出来る。

私がヒヤシンス栽培から学んだことはこうだ。

まず、手間を掛けること。ヌメリを取るという地道な手間を掛けることで、そのものが成長しやすくなる土台を十二分に用意してあげることが出来る。次に、不都合を与えたということ。つまり冷水という、自分にとっても、恐らくヒヤシンスにとっても苦痛と思われることを敢えて心を鬼にして行うことで、植物の中にたくましさが生まれた。一見困難なこと、不都合と思えるようなことが実はその植物を強く大きく永く成長させるきっかけとなっていること。

「手間を掛ける大切さ」と「困難を忌避しない大切さ」。2つの大切なことを強く学んだ経験であった。もちろん小学生の時にそんなことを考えていたわけではなく、「冷水ショック」を与える位にしか当時は考えておらず、そうした方が良いのではないかという直感で行動していただけだった。

後々になって、この体験が自分の中で一つの花を咲かせようとしていることに気づく。日常、そして学校生活、大人ならば仕事と家庭生活。全ては気づきのためのきっかけが隠されているということを大切にしていきたい。