勝負はファイト勝ち

易経の中に「離為火(りいか)」という卦(か)がある。

井田成明先生の本の解説文には「文明が日増しに機械的・制度的・外面的に発達した反面、精神的・主体的・内面的な価値が失われていく状況が表れているとみてよいであろう。外はきらびやかであるが、内に困難を抱えているのである」と書かれている。

まさに、そういう感じの人が増えているなと実感する今日この頃だ。想像力、見えない所に思いを至らせる知恵とか、そういうこととは真逆に、自己中心的で自分勝手(我善し[われよし])、自分さえ良ければいいという考えの人は間違いなく増えているように思う。

神尾塾としても、そういう人々からの”とばっちり”を受けることが少なくない昨今だが、自分自身ミイラ取りがミイラにならないように自戒するくらいが関の山で、「なんでこんなことするのかな?」と思えることを平気でしてしまう人に最近多く出くわすのである。

さて、同じく易経に「火雷噬ごう(からいぜいごう)」という卦がある。井田成明先生は「安易な妥協はとらず、断固たる処置をとるべき」と述べておられる。「私たちが行動する場合、いろいろの障害があるが、とかく安きにつきやすく、障害を取り除くことをしないで妥協することが多く、後に悔恨を残すことになる」「人生にはいろいろの障害がある。肉体的・精神的苦痛や争いの壁にぶつかって真剣に取り組み、またそのことがきっかけとなって、真の自己を見いだすことができることであろう」「勇気をもって中間の妨害を排除することである。ファイトと断固たる処置が必要なときである。勝負はファイト勝ち」と述べておられる。

ずいぶんと現代風な言い回しで解説されているものだが、そうだ。ファイトだ。