仕事のできる人は段取り上手

腕利きのシェフがいて、彼が盛り付ける鉄板焼の野菜が見事に美しい。根菜からキノコに葉もの、まるで絵画のようだ。

どうすればそんな美しい盛り付けが出来るのかしら、とカウンターで調理を眺めていると、客のリクエストに応じた野菜を切り分けて、無造作に鉄板に放り込んでいるように見えて、実は既に盛り付けの序章が始まっている。

つまり、鉄板に放り込みながら、そして焼き加減を見て野菜をひっくり返しながら、シェフの中では最終的に皿に盛り付けるイメージを常時描いているのだ。完成された映像が彼の中で浮かんでいるから、フライ返しですくい取られた野菜たちが、いとも簡単に皿に並べられていくように見える。

それは素人の私でも出来るのではないか、というくらいに単純な動作に見えるのだが、オーダーごとの焼きの捌きを見ていると、実はそこに誰も真似のできない熟練した職人技が発揮されている。時間に無駄がなく、「えーと・・・」という迷いが微塵もない。きわめて合理的な動きである。

このシェフから学べること。
彼は野菜という固形物だけに対して仕事をしているのではない。今から数分先にある皿への盛り付けをイメージしながら、同時にベストな焼き加減という今の目の前の野菜を直視している。つまり、彼は動く「時間」に対して仕事をしているのだ。

その彼は従業員を雇わず一人で店を切り盛りしているため、調理からドリンクのオーダーまで全てのオペレーションを自分ひとりで回さないといけない。ということは、目の前の肉を焼く行為だけしか考えられなかったら、とても店は営業出来ない。右の客がスープを飲む間に左の客にはガーリックライスを焼く。鉄板に置いた白米にフタをして蒸す間に中央の客に勘定をする。

彼の頭の中ではつねに「次に何が起きるか」「どうすれば誰一人として退屈させずに過ごさせるか」という、時間の読みとの闘い、つまり究極の「段取り」ゲームが行われているのである。

「仕事が面白くなる」とは、突き詰めてこういうことだ。それは労働基準法とか様々な法規で規定されるような次元の世界観ではない。