格差社会

経済格差とか学力格差とは近年よく言われる言葉だけけれども、中間層がいなくて、その両翼で左と右にそれぞれ山が出来ている状態である。で、その後方の山にいる人々は、結局「自分で考えない(考えようとしない)」「与えられていることが当たり前」になっている人たちだと思う。

子供たちを見ていても、自分で色々と考えながら試行錯誤で取り組んでみようという意識のある生徒と、指示されたらする、1番から5番まで指示されたら1番から5番までする、6番を指示されたら6番をする、でも7番を指示なしで自分でやってみようとは思わない、そういった生徒。これに二分されるように思う。

かつてであれば、期末試験の前ともなれば漠然とした恐怖感のようなものがあって、どの学校でも、よほどのことがなければどの生徒でも、焦りを感じて分からないなりにテスト勉強をしなければ、という気持ちになっていたのが、近年はテスト範囲すらよく読まない、せいぜいワークの範囲を終わらせるだけがテスト勉強だと思っている。これはまだよい方なのかもしれないが、どこか他人事で、別に・・・という冷めた感覚がかなり蔓延しているように思う。

せっかく塾で自習スペースを用意されていても、テスト直前でも時間ばかり気にして定時で帰ろうとしたり、そういう外面ばかり繕えばよいとする生徒も最近多くなった。これは一般論である。

食べ物はあるし、寝る場所もある。命を脅かされる不安も無い。結局のところ満たされているゆえの平和ボケということだと思うのだが、何もかも満たされていることが「当たり前」にしか思えない人が増えてしまったら、この国はやはり、日の没する国への道を歩んでいるとしか言わざるを得ない。