出口汪先生講演会

3週間ほど前に、新宿で「論理エンジン」出口汪(でぐち ひろし)先生の講演を聞いてきた。主な内容は以下の通り。

【1】大学入試改革の根幹はなにか
18歳人口の減少により、多くの大学が定員割れを起こすようになると、早めに生徒を獲得する推薦・AOによる入試が活発になっていく。そうなると学力の怪しい者がどんどん大学へ送り込まれるようになっていく。

そこで、今回の大学入試改革の根幹はなにかというと、大学入試の位置づけを「選抜」から「高校までの学力を担保する制度」に切り替えていくことにある。ここを理解していない者が多い。

【2】国語は「論理」である
日本人にとっての国語は「以心伝心」「察する文化」「習うより慣れよ」の象徴となっている。つまり再現性のない教育が行われているのが一般的な国語の教育だ。これは茶道や華道と同じである。(使い手の感性次第、という意味)

それに対して音楽は再現性がある。(楽譜に落とし込んで、それをもとに演奏すると音楽が再現できる、という意味)
再現性があるということは論理的である、ということ。

論理に基づいた国語教育でなければならない。(ちなみに、国語で成果を上げたら塾は大成功する)

【3】小学英語は意味がない
英語は習熟しているか否かが問題だから、英語しか使わない環境で過ごすことが大事。

【4】人間の脳の完成
人間の脳は0~6歳で80%、6~12歳で100%完成する。教育は「右脳(感覚)→左脳(論理)」の順が大事で、右脳ばかりの幼児教育では感覚屋になってしまう。そこで、幼稚園では「読み(右脳)」、小学校では「書き(左脳)」の順で教育する。

【5】教えない授業が増えている

【6】私教育は一人の子どもに何年続けてもらえるか、を主眼にする

出口汪先生の、一切面白いことを言わない、淡々とトーンを変えずに話をしていくスタイルにやや眠気も感じたりしたのだが、
【1】については重要な指摘。大学入試が入学者を選ぶ「選抜」ではなく、いずれにしても学生が入ってくるのだから最低限の学力を確保していることを高校時代から記録して、入学者の学力水準を一定以上に保とうとする考えが今度の大学入試改革のポイントだという指摘は必読。【2】は出口汪先生の専売特許のようなもの。

【5】は近年でいうとフランチャイズを全国に広げている「授業をしない」武田塾がそうだが、神尾塾も確実に「教えない授業」のカテゴリーに入る。先生が黒板の前で独演会をして生徒が黙ってノートを書く、というスタイルは間違いなく時代遅れであろうし、自分で調べる、最低限のポイントを教わる、自分で考える、ヒントをもらう、不適切な流れを修正してもらう、という風にアクティブ・ラーニング型の指導法、先生の役割はコーチング、に変わってきているのが現代の潮流だ。

潮流だ、なんて偉そうなことを言っても、恐らくそれは幕末に吉田松陰が松下村塾で弟子たちに接していたスタイルであると思うので、大量生産・マス授業から個別化、寺子屋化への原点回帰。これがアクティブ・ラーニングの真相だろうと私は考えている。

【6】は塾業界の内輪な話だが、〇光義塾がかつてない勢いで全国の教室数が激減していると聞く。私が子供の頃に羽振りのよかった両国駅前の両国予備校なんて今は無いし、中学受験から大学受験まで幅広く扱っていた桐杏学園も今は市進が取得して幼児教育専門になっている。その市進も今や介護施設や高齢者向け住宅を手掛ける、企業の維持のためにはなりふり構わないといった状況ではある。先ほどの寺子屋化への原点回帰がそうだが、量や数を稼ごうとする消耗戦ではなく、いかに質の高い教育を幅広い学年で提供できるかが私塾界におけるスタンダードな考え方と現在なりつつある。