根気と胆力

『求めよ、さらば与えられん』
~求めなさい、そうすれば与えられます。探しなさい、そうすれば見つかります。門を叩きなさい、そうすれば開かれます。

これは、新約聖書・マタイの福音書7章7節の有名な一文だ。

塾の宿題で言えば、詳細まで調べたり考え尽くして答えを導いている答案に接すると、こちらも指導意欲がかきたてられるし、もっとこの生徒に伝えよう、与えようという気持ちが強くなる。逆に手抜きをして、中途半端な宿題内容になっていれば「なんだこれ?」ということで指導するモチベーションも落ちてしまう。宿題に限らず、天の神様でも同じことを考えるということだ。神様はどのような人間を応援するか、ということだ。

中学生の自習課題を見ていて思うことは、苦手な科目や分野であっても、教科書や参考書をじっくり調べながら丁寧に進めることが出来ている生徒は「根気」があり「胆力」が出来ているということである。問題をパッと見て、調べもせずに「自分には出来ないわ」と空欄のまま投げ出してしまう生徒がいたとすれば、それは根気なし、意気地なし、胆力なし、と言えなくもない。

この後者を如何にして前者に変身させていくか。それが塾の最も大きな仕事のひとつと言えるのだが、とても困難で時間のかかることである。

まず、問題文をよく読み、それと該当する参考書の部分を探していく作業。当然ながら「読む」力も必要となるし、読むためにはやはり根気が必要となる。神尾塾の授業では「漢字の辞書調べを生徒にさせることが多いが、これはその第一歩のようなもので、調べ慣れるとある種の「勘」のようなものが養われてくるので、大体この辺りかなと見当をつけた所に必要な知識が記されていたりするようになって、作業のテンポも次第に速くなっていく。

ここまで来て初めてマトモな受験勉強が出来るようになるのだが、そこの遥か手前の地点で、こちらからいちいち空欄を指差して「これは調べればすぐ分かることじゃない?」と問いかけないと手を動かさないケースも多く、ここで一枚生徒自身が脱皮できるかどうかが、生徒の今後を占う試金石になると言えるのである。