集中力と想像力

勉強だけでなく、仕事においても日常においても大切なことは「集中力と想像力」の2点と言えるだろう。
よい仕事、内容のある仕事、意義のある仕事というものはどれも気持ちが散漫になっていては出来ないもので、すべて集中して作業に取り組んで出来た産物といえる。また、なぜ勉強するかと問うた場合、単に知識を得る、学力を上げるという短期で得られやすい成果のほかに「集中」する術を学ぶということが言えるのではないだろうか。

よって、集中出来ずに気持ちが散った状態で勉強をしてもさほど効果は得られないし、時間の観念を忘れていつの間にかその作業にのめり込んで取り組んでいてこそ本当の意味での勉強の意味があるのだ。勉強が苦手ならば、スポーツでもいい、料理でもいい、趣味でもいい。何か時間を忘れて没頭出来ることに打ち込む時間を今持っていれば、それがその人の精神的な基盤になっていくということだ。現時点で他に集中できるものがない、というのならば、それならば素直に勉強を頑張っておきなさい、という話である。

もう一点は想像力である。これは「思いやり」の気持ちと言い換えることも出来よう。相手の立場に立って考えること。自分がこうしたら相手はどう思うだろうか、この製品が自分の手元に届くまでにどのような過程を経てきたのだろうか、このようなことを出来る限り想起するだけで、自分の行動が少し良くなるのではないだろうか。

想像力、思いやりを育むためには、何であっても「経験」を重ねていくことが大切である。トイレ掃除をしてみれば、トイレ掃除をする人の気持ちが分かるし、どのように自分がトイレを使えば掃除をする人の負担が減るかを考えるようになるものだ。男子ならば自分でトイレの掃除をしてみれば、(小便器を除き)立って小便をすることは無くなろうということだ。

料理をすれば料理人の気持ちがわずかでも分かるし、飲食店の店員になってみればどういう客が喜ばれどういう客が敬遠されるかが分かるようになる。ただ、何が何でも全て経験しなければそのことが分からないというのは人としてお粗末なので、とりあえず自分に出来る経験をそれなりに色々重ねていく中で、それらの思考回路が繋がっていき、自分の体験したことでなくても、遠方に思いを馳せることが出来るようになるということなのだ。