個別指導の肝

指導上最も大切なことは、勉強に対して生徒に「逃げ場を作らせないこと」、ひいては「当事者意識を植え付けさせること」、これに尽きる。

学力上位の層を除いて、クラス形式の授業は疲弊してきている。採算性や合理性を考えると改革は一筋縄ではいかないが、現行システムでは救われないまま埋もれていってしまう生徒も量産しているので、学校も色々とシステムを見直した方が良いのではないかということに気づき始めている人も少なくない。

ある年代までは、「個人は全体に合わせる」という意識が強かったので、皆がクラスの授業に向かう姿勢が出来ていたように思う。しかし、社会全体として個別化、志向の多様化、個人主義的なものの考え方が普及していくに従って、全体で行動するという考え方に無理が生じるようになってきた。

私がかつて他塾で集団授業を行っていた際も、私または他講師の授業に関わらず、「私は授業には関係ありませんよ?」のような表情をして教室に座っている、心ここにあらずの生徒が増えるようになっていた。これは甘ったれといえば甘ったれなのだが、このような他人事感覚の強い生徒は世の中の動きに関心を持たないし、同時に学力も低くなる。そういう生徒が巷に増えてくれば、社会全体の地盤沈下も避けられない。

そこで、私に出来ることとして最適な指導法は何だろうということを開塾以来考え続けてきた。それは、「個別指導」であるということと同時に、「生徒本人が頭と手を動かさないと先に進まない授業」「自分で辞書を調べないと先に進まない授業」「英語ならば自分で考えて和訳をしないと授業にならない授業」というように、依存心を作らせず、友達も助けてくれない、自分に出来る自助努力を最大限に引き出す指導法なのではないかということであった。

これは生半可な素人が行うとただの放置放任となってしまうので、経験と見識を要するプロの指導法であるのだが、この考え方を発展させていって、学校のような公教育でもメソッドを確立出来るようにならないものか。これは新しい考え方ではなく、本来の集団授業も根本はこうあるべき、という話に過ぎないのだが、この点を考えていかないと学力のみならずこの国の人材輩出にも影響を及ぼすような気がしている。