あたまのやわらかさ

2年前に、某塾の生徒を引き受けることになった時のこと。そのうちの当時高校2年生の女子生徒と接していて、「頭かたいなー!」と内心強く思ったことを思い出した。

「頭がかたい」というのは融通が利かない、柔軟さがない、対応力が弱い、と言い換えられる。それは教科書の進度に沿った学習項目については一見、不都合なく進めているように見えるのだが、いざ過去学年の内容に照らして解説しようとした時に生徒が「???」と拒否反応を示すのだ。

例えば高校数学の教材で「三次式の展開と因数分解」を解き進めるのに、教科書のマニュアルに沿って数字を当てはめて答案を書いていくことは出来るのだが、「ここで中3の因数分解が」「小学生の最小公倍数が」と話をした時に「え?何それ、全然分からない」となってしまって解説がお手上げになってしまった。そんな感じだったと思う。

神尾塾に長期間通う生徒ではそういうことが起こり得ないだろうな、と確信したのは、神尾塾では基本的に【前後に反復横とび】をしながら学習を進めていく。つまり、中学1年だったら「正負の数→文字式→方程式→文字式→方程式→正負の数→関数→方程式→関数」と、3歩進んで2歩下がる、4歩進んで1歩下がる、のように前へ後ろへ行ったり来たりしながらローラーで前後を繰り返し転がしていくように学習内容を踏み固めていくのだ。

これを私は一時期「イリュージョン授業」と銘打っていた時もあったが、そのようにして真の学力が身についていく。塾が学校の授業にあわせて教科書の進度だけしか見ていなければ、既習の範囲は時間が過ぎれば過ぎるほど記憶から失われていくし、結局その都度教科書のマニュアルに沿った解法でしか問題を解けない、つまり中間・期末のその場限りでしか点数が取れないことになる。当然入試に通用できる学力に醸成していかない。

行って戻って、行って戻って、を繰り返して、生徒が「次は右からパンチだな」と思ったところで左からパンチが飛んでくるような、そういう意表を突いた構成で学習を繰り返していくことで本当に実力というものが養われる。指導者の腕次第で生徒を石頭にさせることも、やわらかい頭にさせることも可能であり、それはある意味恐ろしいことである。