教室の床はカーペットか畳で

鎌ケ谷から県道8号線を南に下り、船橋市内を抜けると首都高速湾岸線と並走する国道357号線がある。この357号線を走行しながら路上を見回すと、おびただしい分量のゴミが投げ捨てられているのが目に入ってくる。場所によっては処分場のようにゴミの山となっているところもある。

大体がペットボトル、空き缶、そして中身の詰まったコンビニ袋だ。恐らく、一部の心ないトラックや営業用車のドライバーが日常的にポイと投げ捨てていくのだろう。物流が盛んになり、インターネットで注文すれば当日または数日以内に求めていた商品が手元に届くようになった現代ではあるが、こういった便利な生活からは見えない裏の面にこういったゴミ投棄の問題が隠されている。

なぜこのようなポイ捨てが平然と出来てしまうのか、というところで、私は学校や塾の教室の床素材に目を向けて見ることにした。

まず、神尾塾の場合は床がカーペットになっており、気持ちの問題として消しゴムのカスを床に払い捨てる気にはならないだろう。実際、塾では消しゴムのカスは退出時に机の中央にまとめておくよう指示をしている。それでも多少のカスは落ちてしまうので掃除機をかけてから1週間も経てばカーペットは再び汚れてくる。

しかし、学校や塾の多くはフローリングやラバーなどツルツルの床になっているため、消しゴムのカスが出てきたら手でサッと払い、床にどんどん落として行くことが習慣となってしまっている。そして、5または6時間目が終われば机を下げて掃除をするのだから、特に問題はないという意識を助長させてしまう。

これが自宅の場合ならば、床に消しゴムのカスを落とすと自分の住む環境が汚れてしまうし、床がザラザラしていると自分自身が不快になるから「当事者感覚」が働いて平然と床に捨てることは出来なくなる。ところが、学校や塾の不特定多数の人間が集まる場所では当事者意識が薄れてくるから、あまり気にせずに小さなゴミを床に捨ててしまったりする。

この辺がメスを入れなければならないポイントではないだろうか。

つまり、子供または学生の時分に床に小さなゴミを捨てることに違和感を持たない生活を続けてしまうと、それがその人の行動原理となってしまって、大人になってからも多少大きなゴミを捨てることに違和感を持たなくなってしまう。もちろん、全ての人がそうではないし、捨てない意識を持つ人はどこに行っても捨てない。でも、世の中には意識の低い人々というものも少なからずいるので、彼らにとっては違和感なくポイ捨てが出来てしまうのだ。

学校や塾で消しゴムのカスを捨てることに抵抗を覚えるような床にすることと、自分の机から半径1mの床を自分で掃除しなければならないという当事者意識を植え付けること。このような取り組みを子供の頃に徹底させることで、大人になってからのポイ捨て防止に寄与出来るのではないか。