子供の意思を尊重します

「子供の意思を尊重します」と言ってしまう家庭がすごく増えたように思う。

それは一見大変正論のようでもあり、美しい言葉に聞こえるのだけれども、生徒の意思が「逃げ」の意思であった場合、それでも「子供の意思を尊重します」と言ってしまうのだろうか、と疑問に思う。

これまで数多くの生徒、家庭と応対してきたが、ここで「ブレてはいけないだろう」という大事な局面で、しっかり筋を通して時には火花を散らしてでも真正面から問題と向き合ってくれる家庭と、「子供の意思を尊重します」と述べて結果的に問題から逃げてしまう家庭。見事にこの2パターンに二分されることが分かった。

小学生、中学生、場合によっては高校生であってもまだまだ客観的な意思が確立されているわけではない。つまり、生徒にとって「これは嫌だな」と感じたことが、「今の自分にとっては乗り越えなければならない壁を見て嫌と感じている」のか、それとも「自分の深奥からの魂の叫びとしての嫌」なのか、この違いを客観的に把握することがまだ難しい。

ここをしっかり吟味して、「それは乗り越えるべき壁」であるのか「回避してもよい壁」であるのかを分別してあげるのが人生経験を積み重ねてきた大人の役割であろうと思う。

生徒にトラブルが発生するということは、それは一つの節目を迎えたということで成長している証でもある。この節目を塾としては出来る限り見逃さないようにしているし、問題提起をすべきタイミングだと判断したならば、出来る限りの方法で問題提起をするように心掛けている。

せっかく訪れた節目をどのように対処していくか。「子供の意思を尊重します」と言ってしまう家庭の場合は、最終的に子供自身に「生涯の価値観」として「逃げる癖」がついてしまいやすいように思う。