裏切り者

1対1の個別指導という形態での指導は、本人の現状に寄り添って塾が自転車の補助輪となり、やがて強く自走出来るように土台を耕してあげたい、と念頭に置いているのが基本であるのだが、時には勘違いを起こす生徒も少なくなく、「塾で面倒を見てくれるから自分は塾に行っているだけでいいや」と思考停止に陥り、自助努力をほとんどしなくなってくる生徒も出てくる。

そして、特に性質(たち)の悪いのが、自助努力をしなくなるだけでなく、与えられた課題でさえもマトモにこなせなくなる、というパターンである。

課題を与えても取り組みが中途半端(例えば字が乱雑、計算ミスだらけ、誤記の頻出)となり、それが問題であることを気づかせようと出席停止にしたり、それとない働きかけを数多く与えて本人が気づく「きっかけ」を用意してやるのだが、それすらも鈍感に陥って気づくべきものにも気づかず、ただ漫然と日を過ごしてしまう。

さらっと書いているが、ここまで来るだけでも私なりには相当の配慮と心労があるのだが、それでも伝わらない生徒は退塾勧告の1mm手前ということで授業時間の変更、つまり17:30開始、18:30開始という中3生にとってはゴールデンの時間から外すのである。

このような経緯を踏まえて、今回ある生徒が退塾に至った訳だが、
これまで重ねてきた長時間の授業、面談、その時間と労力をその鈍感な生徒に費やしてきたのかと思うと、はらわたの煮えくり返るのが収まらない。

やはり、「自分に出来る最大限のことを自分なりに努めて取り組む」というのが人間にとっては誰であっても基本的な生き方のスタンスであるべきだと思うし、これを学ぶのが学生時代の勉強であると思う。また、それが出来ない人間は出来るまで許してはならないと思う。

改善のための万策尽きて、それでもどうにも伝わらない生徒には去ってもらうしかない。去ればいいのだ。

昨夜遅くに来た退塾のあいさつ、私の前で終始「にやけて」いたな。何故にやつくか。照れ隠しか、本当に何も分かっていないのか。

何をしに神尾塾へ入塾したのか?

私の脳裏には「裏切り者」。この二文字が頭から離れない。
いずれ大人になって、過去を悔いるときが来るならば、大いに悔いて苦しめばよい。