浜村淳に学ぶ

永六輔も小沢昭一もその後他界した。
横浜の関内ホールというところで生の永さんと小沢さんを見る機会があって、永さんはパーキンソン病の初期の頃だったが、小沢さんは足元が少しおぼつかなくなっていた頃で、本当にギリギリのいいタイミングでそれぞれの喋る姿を目に出来たのは私個人としてはうれしい財産である。

で、平成を乗り越え、今現役で活躍している日本のラジオパーソナリティの長老といえば、東の毒蝮三太夫、西の浜村淳といって間違いないだろう。

蝮さんについては、私が学生の頃TBSの生放送の会場に何回か訪れたことがあった。問題は浜村さんで、大阪に移ったからには是非とも一度生でその姿を拝見したいと願っていたところで、ちょうど先月MBS毎日放送の番組45周年のイベントを観覧することが出来、そういうことで喜んでいる自分もどうなんだ、という気もするが、とにかく嬉しかったのだ。

「持った湯呑みをバッタと落とし、小膝叩いてニッコリ笑う」(はたとひらめいた時に使うフレーズ)

「ようお越し またお越し 岩おこし」

「ポンカラキンコンカン」(パソコンをたたく音)

「うぐいすがハチミツを舐めた声」(美声)

「カラスがコールタールを飲んだ声」(ダミ声。浜村自身が自分の声を形容する時に使う。コールタールは臭いのきつい真っ黒でドロドロのペンキのようなもの)

といった往年の浜村節は最近はずいぶん少なくなってきたが、それでも今年84歳とは思えない饒舌で、例のイベントでも杖も使わずスタスタとステージ上を歩いておられたので、このまま50周年までは確実に番組は続くと思う。(続いてほしい)

私にとってはラジオ少年だった高校生の1996年、日曜日に東京のTBSラジオで浜村さんの生番組が始まり、冒頭ノンストップでその日の新聞からニュースを延々紹介していくスタイルに驚き、その後それは大阪MBSの「ありがとう」が本家だったということを知り、当時radikoも無かった時代で、どうしてもその本家を聴きたいと当時願っていたものだ。

「思い出は映画と共に」「思い出は名曲と共に」というコーナーも1970年代に浜村さんがMCを務めていたラジオ大阪の「バチョン」という往年の番組の復活コーナーということで、今思えば東京ですごい番組を放送していたのだなとしみじみ振り返る。

その後私が大学4年の時に建築学科のデザイン賞の審査で作品を千葉から門真まで車で運ぶことになって、運転中の朝8時、カーラジオから初めて聞こえてくる1179kHzの「ありがとう」のジングルに鳥肌が立った記憶がある(※大多数の大学生に理解できない現象である)。「ありがとう」の番組はその後まもなくしてインターネットで8時台のみストリーミング配信することになり、物好きな私としては毎日これを聞いていたわけだ。東日本大震災の際に当時始まったばかりのradikoが一時的にエリア解禁になるということで、初めてのスマホiPhoneを購入したのも一番の動機は「ありがとう」をエンディングまで全編聴くためであった。

そもそも関東で育った私が浜村淳を知っていたのは、全国ネットだった読売テレビの「2時のワイドショー」を小学生の頃に毎週見ていたのがきっかけだと思う。

ダラダラ書いてしまったが、最近はすっかりテレビに出なくなった浜村さんが5月8日NHKに出演されたということで、当然チェック。この時の動画を見てみよう。

番組の中ではこう語っている。

チャップリンの映画には必ず5つのテーマが入っている。

<1>一生懸命働こう、仕事にありがとう。

<2>モノを美味しく食べよう、食べ物にありがとう。

<3>明日はもっと良くなるという夢を持とう。夢にありがとう。

<4>見知らぬ人をも愛していこう、愛にありがとう。

<5>人に親切にする。優しくしても必ずお返しを求めない、無償の愛にありがとう。

と。

私にとって浜村さんの何が素晴らしいかと言うと、

◎身内の話をしない。
→MBSですれ違ったアナウンサーの松川さんがどうだったとか、身内だけで成立するような狭い話を絶対にしない。浜村さんから出てくる話題は、社会の出来事に絡んでいたり、名優・名作に関係していたり、必ずソーシャルな話題につなげる点。短絡的に他人受けするような視点で話すことをしない。話術の中に夢があり、ロマンがあるのだ。仮に共演者が身内の狭い話題を始めても、浜村さんがそれに乗ることはしない。

◎一言ひとことを丁寧に発音する。
言葉を投げ捨てるような、潰すような話し方を絶対にしない。一文字一文字、一言一言を必ず丁寧に発音し、無駄な言葉・音を出さない。これは交通情報で道路情報センターのキャスターを呼び掛ける際にアシスタントと必ず声を揃えて「お願いします」「ありがとうございました」と言う点にも通じる。ともすればベテランになると、そういった部分はアシスタントに投げてしまって自身は主要なコーナーでしか喋らなくなるのだが、そういった横柄な側面は浜村さんは一切見せない。この年齢でこの謙虚さを保てることはそう真似のできるものではない。

◎記憶力
これは1歳下の毒蝮三太夫もそうだが、必要な言葉が必要なタイミングでポンと飛び出してくる。先日のMBSのイベントでゲスト出演の八代亜紀が「こんな小さい頭なのにすごいねぇ(よく次から次へと今昔のさまざまな知識が正確に出てくるねぇ)」と感心していたが、実際にそうだと思う。これは生来言葉が達者なのだろうけれども、日頃から好奇心をもって新しい情報を吸収し、またそれを番組の新聞紹介、映画紹介などでアウトプットするという、ライフワークの中に脳を鍛える習慣が出来上がっているのだろう。これも、高齢化社会の今においては、大変模範となる姿と思う。

現在浜村さんは月曜~金曜が2時間半、土曜が3時間半の帯番組であり、この週6日の生放送を夏休みも冬休みも一切取らずにマイクに向かい続けているが、このようなスタイルは全国どの番組を探しても、浜村さんが最後になるだろうと思う。

そういうことも含めて、私にとっては今に至るまで学ぶところが多い。
浜村淳、永遠に喋り続けて欲しい。

追記
先月4月に放送されたMBSの特番「浜村淳青春物語」(主演:佐々木蔵之介)も素晴らしい作品であった。
たぶん今年度、民放連盟賞の最優秀まで行くのではないかと思う。隠れた名作。前・後編是非聞いてほしい。